矛と盾の世界


人が生きるために必要なものは。

そう問われたら、まず最初に何と答える?
酸素、水、栄養、睡眠、安らぎ、刺激、力、他人、希望、過去、未来……愛。
答えは連鎖的に次々と口にすることができ、尽きることがないようにさえ思われる。そう、人に必要なものは一つではない。
それでいて、誰もが本能的に知っている。人が生きるために必要なものは、本当はたった一つなのだと。



あいつには、俺さえいれば良いんだよ。



──気に入らねぇ。
「アレルヤ」
後ろから声をかけられ、ハレルヤは舌打ちをした。もちろんその声に対してだが、それに素直に振り向いたアレルヤに対してでもある。
──気に入らねぇ。
「ロックオン」
「よ。今、時間あるか?」
「大丈夫だけど……、何か?」
「いや、ちょっと飲まないかと思ってさ。お前、この前成人したんだって?」
「うん、まぁ」
親しげに笑顔を向けられ、アレルヤは少しはにかむようにして答える。
「でも珍しいね、ロックオンが飲みたいだなんて」
「たまには、な。けどやっぱ、一人で飲む酒ってのは味気ないもんなんだよ。お前が飲める歳になって嬉しいよ、アレルヤ」
ロックオンの笑顔はいつでも優しい、とアレルヤは思う。それが気に入らない最大の要因だ、とハレルヤは吐き捨てる。
「強くはない、と思うんだ、まだあまり飲んだことがないし。どこまで付き合えるかわからないけど…、それでもよければ」
「もちろん、無理に飲ませたりはしないさ。…俺の部屋で良いか?」
「構わないよ」
──気に入らねぇ。
己の内で、もう一人の自分が何度も呟いている言葉が、アレルヤには聞こえているのかどうか。直接問いただすこともできるその疑問を、ハレルヤはあえてぶつけずにいた。
今にでも身体を乗っ取って、叫びたい思いは燻っているけれど。
──あの叫びを、聞いてやしなかったくせによ!
そう、誰も聞いていなかった。
…誰も。
──誰も!!あの叫びを!!
それなのに。
あいつを理解しようとして近付いてくる緑の目。
あいつが理解しようとして近付いてゆく紫紺の髪。
あいつを理解しようともしない青い背中。
全てが気に入らない、全てが邪魔だ……、全部なくなれ!!!!!!
「っ……」
ロックオンに連れられ、彼の部屋へ足を踏み入れた瞬間、アレルヤの頭に痛みが一筋、走った。
「アレルヤ?どうした?」
「いや…、なんでもないよ……」
「体調が良くないのか?無理して付き合うことないんだぜ?」
「そういうわけじゃ、ないよ。大丈夫」
心配そうに顔を覗き込むロックオンに、アレルヤは笑ってみせる。ここは笑うところじゃなくて睨むところだろう、というハレルヤの主張は届かなかったらしい。
「んじゃま、軽く乾杯と行きますか。ほい、グラス持って」
「あ、うん」
「遅くなって悪いけど。成人おめでとさん」
飾り気のない二つのグラスが、カチン、と小さな澄んだ音をさせて端を合わせられた。
「ありがとう……」
嬉しげに、けれど控えめに微笑むアレルヤを、ロックオンは目を細めて見た。
「余計な口出しになるかと思って言わなかったんだが…、大丈夫か、アレルヤ?」
「え?」
──今、何と言った?
今、この男はなんと言った?大丈夫か、などと軽々しく口にはしなかったか?
ハレルヤは血が逆流するような感覚を味わった。憤り?怒り?そんな言葉では説明などできない。アレルヤがぽかん、と暢気にその男の顔を眺めているのが信じられなかった。
「過去に片をつけることが、必ずしも未来に繋がるとは限らないから、さ。荷を降ろしたつもりが、逆に前の何倍も背負ってしまっていることもある」
ロックオンは静かな目……、というよりは寂しげな目で言った。この前のミッションのことを言っているのだと、アレルヤも気が付いてグラスを握り締める。
「僕は……」
人類革新連盟の超兵機関施設強襲。
あのミッションが自分に何をもたらしたのか。アレルヤは未だそれを明確に捉えられないままだった。どう言葉にして良いのかもわからなくて、口ごもる。なぜかどくどくと鼓動が早まってゆくのを感じた。
「いいんだ」
「え……」
「ゆっくり考えれば、良いんだ。もしかしたら考える必要さえもないかもしれないし、な」
無責任なこと言ってるな、とロックオンは困ったように苦笑した。がしがしと頭を掻きながら言葉を探している。その様子が胸を妙に温かくして…、アレルヤは動悸の理由を見当違いにもそこに見出した。
「すまん、上手くいえなくてさ…。でも気になったんだよ、俺も……、過去の為の戦いをしてるから、な」
「過去の為の、戦い……?」
「ああ……。あの戦闘は、お前にとっての過去の為の戦いだった、そうだろ?」
「過去の、為の……」
そうだ、きっとそうなのだ。
アレルヤはコックピットから見た白くて大きな建物を思い浮かべて唇を噛んだ。そのヴィジョンは、不必要なほど鮮やかに目に焼きついている。けれどそれていて妙に朧に脳内を漂っている……。
過去は、消えない。
そんなことはわかっていた。アレルヤも、ハレルヤも。過去を消したいわけでは、なかった。
でも、やらなければ、
……やらなければ……?
「過去の、為……。そうだね、僕はたぶん、過去の行いを正当化したかったんだ…。逃れられない罪なのに…。罪だとわかってるのに……」
自分はただの人殺しでしかない。それはやってもやらなくても変わらないことなのに、それでも。自分の中に無理矢理にでも辻褄をつけたかった。たぶん、そうなのだろう。情けない話だ、とアレルヤは思う。自分の感情・思考に憶測を用いなければならないだなんて。自分以外に、わかる人間なんていないはずなのに。
違う、とハレルヤは鋭い思いでもって否定した。ここにいる。わかっている、この自分が。……それを伝えることなどは、しないけれど。でも。
──アレルヤ。
「アレルヤ」
アレルヤは……、ロックオンの方を見た。
逆流した血が、今度は凍っていくのを、たぶんハレルヤだけが感じていた。
──アレルヤ!
「お前がどんなつもりで闘っていたのか俺は知らないし、知るべきでもないと思う。でも、それは過去の為の戦いだったんだ」
綺麗事の臭いがする、とハレルヤは思う。聞いてしまえばアレルヤはきっとそれを信じるだろう。わかっているのに。
──何が悪い!?自分を正当化して何が悪いんだ!?良いだろうが、それで!!
必死に叫んでいるつもりなのに、アレルヤが真摯に耳を傾けるのを阻止できない。それはつまり本当はしようとしていないということで。矛盾している。そんな自分自身に、ハレルヤは苛立った。
「だからこれからの戦いは、未来の為の戦いだよ」
「え…?」

未来。
そんなの。
     「どうやって…?」
      ──いらねぇよ。

一瞬、声が重なった気がして、アレルヤは手で口を押さえた。
ロックオンはそのしぐさを、素直すぎるほど素直に口にしてしまった疑問に対する羞恥だと受け取ったらしい。ふ、と柔らかく微笑んだ。
「たとえばの話だけどさ、闘って守りたいと思うような大切なもの、とか、そういうのあったりしないか」
「大切な、もの……」
ふと目の前をよぎった影を、もっとちゃんと捉えようとして、アレルヤは目を細めた。今、自分は何を思い浮かべたのだろう?
日が沈んだばかりの空の色に、似ていた気がするのだけれど。
「さっき言っただろ、俺も過去の為の戦いをしている、って」
アレルヤに聞かせるためにというよりは、自分で再確認するかのようにロックオンは話した。
「最初から最後まで、過去の戦いをするつもりだった。それだけを、するはずだった。世界が変わるまでな……。でも、未来の為にも闘わなくちゃいけないんじゃないか、闘うことができるんじゃないかって…、あいつに出会って」
ロックオンの口元が、綻んだ。
「思うようになったんだよ」
「……ロックオンの、大切なもの……、なんですね」
「もの、っつーか人だけどな」
ロックオンは肩をすくめた。それはもしかして、とアレルヤが言えずにいると、遠慮は不要とばかりに、
「ま、想像通りだよ。刹那さ」
とあっさり言った。
「守られなければならないほど弱くないつもりなんだろうけどさ、本人は。まぁ、それもそうなんだが、気付いてないんだよな、あいつ。あの目とか肩とか、目の前で見続けてると、もう、さ……」
「え、ええと……」
アレルヤはノロケにも似たロックオンの台詞にどう答えて良いものか戸惑うと同時に、未だ静まる気配のない自分の鼓動にも戸惑っていた。痛いくらいに、激しく打つ。
これは、何だろう。さっき頭の中を掠めた影の所為だろうか。ひらり、と翻ったあれは、もしかして、彼の…?でも、もしそうならばなぜ…?大切なもの?大切にしたいもの?自分にとって彼が?
アレルヤがまたしても見当違いの理由を見つけたことがわかっても、その鼓動を沈める術はハレルヤも知りえなかった。気に入らない。気に入らない。気に入らない。その思いだけが、ぐるぐると駆け巡る。
──それで心配してるつもりなのかよ。
自分が大切にしているものについて語ることが、誰かを救うことになるとでも思っているのか。何も知らないくせに。何もわかってやしないくせに。
「わり。勝手にべらべらしゃべっちまったな」
「いや……。……ロックオン」
「ん?」
「僕にも、出来るようになるかな。……未来の為の戦いが」
──なぜそんなことをこいつに訊くんだよ、アレルヤ!
不可解な鼓動の所為か、それとも慣れぬ酒の所為か。アレルヤの瞳はいつもよりも熱を帯びていた。片側しか見ることのできないその瞳を、ロックオンは真っ直ぐに受け止め、微笑んだ。
「お前がそれを望むなら、きっと」





撃ちたくないんだぁぁあああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!





あの叫びを!!!!!!

誰も聞いていなかったくせに!!!!!!

誰も!!!!!!



「ハレルヤ…?」
ロックオンの部屋を辞したばかりのぼんやりした頭で、アレルヤはようやくその名前を呼ぶ。
自室のベッドに腰を下ろしながら、飲みすぎただろうか、などと暢気に考え額に手を当てた。
『未来なんか、いらねぇよ』
「何、ハレルヤ」
人が生きるために必要なものは、一つではない。酸素、水、栄養、睡眠、安らぎ、刺激、力、他人、希望、過去、未来……愛。
必要でいて、けれどそれは何一つ必要ではない。
『お前には、俺さえいれば良いんだよ』
「ハレ、ルヤ……?」
酒が入って熱くなっているはずの身体を、ぞっと寒気が走った気がして、アレルヤは己の肩を抱いた。……ぬくもりを与えるその腕を動かしたのが果たして自分の意思か、わからぬままに。





  


あとがき。読みたいのみ反転させてお読みください。
ハレルヤはアレルヤ至上主義。
これ、常識ですよね!(笑)
ハレルヤとアレルヤの一方通行な関係を示すためのお話だったんですが、ロックオンを介入させたらうっかりロクアレになりそうに;
ロックオン…!恐ろしい子!!
アレルヤにもハレルヤにも揃って幸福になってほしいと思ってるんだよ、ホントだよ…!ひどい話書いてごめんなさい…。
ご拝読ありがとうございました!





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