Red Moon


何時からだろうか。

こんなにも醜い、辛い思いを胸に抱えてしまったのは。

くだらない、と思って押さえ込んでも、いつの間にかその思いは這い上がって来ている。

苛々する。

どうしてこんな不快な思いを抱いていなければならないというのか。

その思いを抱かせている相手を、いっそ憎めたら簡単であるのに、それができないでいる自分が腹立たしい。

無理というものだろう。原因は彼であり、自分なのだから。

・・・苛々する。

何時になったらこのくだらない不快な思いを追い払う事ができる?どうしたら良い?

答えなんてとうに出ているのだけれど。

答えの通りに動く事ができずにいる。

それはあまりにも醜くて浅ましいような気がするから。





その日は寒いと思えるほど、気温が低かった。ここそこで「今日は冷えるね」という会話が交わされている。

その中に聞き慣れた声が飛び込んで来る。無意識に聞き耳を立ててしまう自分が嫌でたまらなかったが、本能はそんな思いをあっさり無視する。

「メグ、ジュッポさんにこれを渡してもらえるかな」

「うん、まかせて!それにしても、今日は寒いねえ。カリムさん、そんな格好で寒くないの、大丈夫?」

「うん、まあ大丈夫だよ。メグこそ大丈夫なのかい?」

「うーん、ちょっと大丈夫じゃないかも。ジュッポおじさんにコートをねだっちゃおうかなー。今のはちょっと小さいんだよね」

「それなら、グレミオに頼むと良いよ。ちょうど良い大きさに直してくれると思うよ」

「ホント?わーい、じゃあ頼みに行こうかなー。カリムさんありがとー!」

パタパタという元気の良い足音。妙に耳の奥に響いた。

彼はおそらく、こちらには気付いていまい。

ヒリヒリ、ズキズキする不快な胸の痛みを押しやろうと深呼吸をする。

しかし、何ら効果はなく、逆に苦痛を増幅させてしまったようだった。

(苛々する)

たったあれだけの会話に過剰に反応しすぎだと自分でも思う。メグの声もそうだが、それ以上に彼の声が耳に残っている。

「ルック」

びくり、と肩が震えた。背を向けていたとはいえ、近付いて来るのがわからなかったなんて。

不機嫌に振り返れば、予想通りの人物が予想通りの表情で立っていた。いつもの・・・穏やかな笑顔。

「何か用?」

「うん。ルック、寒くないかい?」

「・・・別に」

「そう?それなら良いんだけど。メグがだいぶ寒そうにしていたからさ、ルックは大丈夫かな、って」

「・・・それは無駄な心配だったね。僕が寒くない事がわかったんだったら早くメグの心配に行ってあげれば」

「行かないよ」

彼は穏やかな笑顔のまま、言った。この笑顔には鬼をも安心させる効果があるのだろうと密かに思う。

その瞬間、またも自分が汚くて醜い思いを抱いている事に気付く。自己嫌悪に、そっと唇を噛んだ。

「行かないよ。ルックが寒がっているから」

「は?何を聞いていたんだよ、今まで。僕は寒くないって言ってるだろ」

「寒くないふりをしているだけだろう?心が冷え冷えしているのが見えるよ、ルック」

彼をきっ、と睨んですぐ、目を逸らした。どうして、この男は。

どうしてこの男はわかってしまうのか。その思いが居たのは一瞬のことだった。すぐ、こんな思いに変わる。

誰に対してもこうなのだろうか。

相手の思いを読みとって、優しい言葉をかけて。

「なんでっ・・・」

「え?ルック?」

「なんでそういうこと平気な顔して言えるのさ!」

「え?」

彼の目が丸くなる。

答えを待たずに踵を返す。別に答えが欲しかったわけじゃないから。足早にその場を立ち去った。

・・・いっそのこと、憎めたら。





朝は寒かったが、日中になるとそれ程でもなくなった。しかしやはり夜が訪れれば気温は下がる一方だ。

自室で一人、闇に包まれていると、体の芯から冷えていく。

どうせ、横になっても眠れはしない。

あの不快な思いの所為で一日中気を張り詰めていたため、身体的にも精神的にも疲労が溜まっているのだが、その思いの所為で目は冴え渡っている。

ベッドに座って、窓の外を眺める。

瞬く、星々。今夜は、月が無い。

しかし、目を凝らせば、姿こそ見えぬものの、確かに月がそこに在ることがわかる。

月が、空の物である証。

証のある月が羨ましいと思った。

月だって、何時まで存在していられるかわからない。けれど、少なくとも今は空の物だという確かな証があり、皆空の物だと認め、知っている。

月と比較するなど馬鹿げているとは思う。

このようなことを考えるようなことも今までにはありえなかった。けれど、こうして考えてしまう。

そして改めて自分の思いがどれほど強いかに気付き、悔しい思いをする。

壊れてしまいそうだった。

唇を、噛み締める。無理にでも眠ってしまわなければ、明日はもっと辛いだろう。

(眠りに落ちるまでにどのくらいかかるかな・・・)

前髪をかきあげるようにして頭を抑えた、その時。ノックの音がした。

「・・・誰」

こんな時間に訪ねてくるのは一人しかいないとわかってはいたが、無条件に扉を開くのは悔しい。

「僕だよ。入っていいかい?」

「ボクダヨ、なんて名前の奴は知らないよ」

言いながら、結局は扉を開いてしまう。楽しそうに笑って、彼はそこに立っていた。

「今晩は、ルック」

彼は後ろ手に扉を閉めながら室内へと進んだ。カチリ、と音がし、彼が鍵を閉めたのだとわかる。

「大丈夫?」

「・・・寒くないか、ってことだったら今朝言った通りだよ」

言いながら、彼に背を向ける。いつもなら動き出す彼が、今夜は動いて来なかった。心の奥まで見透かされているようで悔しい。

「・・・ルックは、何を欲しがっているんだい?心が寒がっているのは、何か欲しい物があるからだろう?」

わかっているくせに、この男はそんなことを訊いて来る。

思いを伝えたら、壊れてしまいそうで。けれど伝えなくても壊れてしまいそうで。

欲求と理性、思慕と恐怖。

ぐ、と瞼を閉じる。本当の闇の中で、もう何も考えられなくなった。何も考えられなくなったら身体は自然に動いて。

気付けば彼の首にしっかりと、腕を回していた。

「ルック・・・」

彼は驚きに目を丸くし、すぐに破顔した。

腰に手が回されたのを感じ、首にかけていた腕に力を込めて顔を引き寄せる。

喰らい付くように口づけた。

自分の息も、彼の息も上がっていく。彼が唇を離そうとしたが許してはやらない。

何度も何度も甘えるように舌を絡める。

そうしてやっと、顔を離したころには、二人共、肩で息をしていた。彼の熱い息が頬に当たる。

「欲しかったのは、これ?」

擦れ気味の声で彼が訊く。

「・・・証が、欲しい」

「証?・・・僕がルックのものだっていう証?」

答えずに、少し顔を背ける。強く深く抱きしめられているが故に、思うように動けない。

「証なんてなくても僕はルックだけのものだけど・・・」

「・・・嘘つき」

「え?嘘なんてついていないよ」

「なら、僕以外の奴と話さないでよ、僕以外の奴に笑いかけないでよ!」

なんて、醜い。

なんて、浅ましい。

それでも、口にしなければきっと、この不快な思いは増大していくばかりだから。

「ルック・・・」

彼の優しい声が降る。吐息が、顔にかかる。

「もらうよ、証」

彼の目をしっかりと見て、言う。

答えを待たずに、彼の首に吸い付いた。

「ルッ・・・ク・・・?」

擦れた、息のような声が、耳をくすぐった。強く強く唇を押し当てる。

彼の肩口に埋めていた顔を上げると、くっきりと付いた赤い跡が目に入る。

儚く、赤い満月。

「僕だけの、ものだからね」

「・・・うん」

優しく頷く彼の顔が微かに赤らんでいるのを認め、少し嬉しくなる。

「消える頃にまた、付けに来るから」

そう言った後、二人で目を合わせて意味もなくクスクスと笑い合う。

小さな口づけをいくつも彼に贈り、少しずつ赤味を増していく彼の頬を指で辿った。

外は新月。

目の前には、赤き満月。

END

月稀様への誕生日プレゼントに、と書いたものです。
「ルク坊で、甘い話」とのリクエストをいただき、書いてみたのですが・・・。
難しいですね・・・。い、いかがな物でしょうか・・・。
ルク坊、イコール、強気なルックと恥らう坊ちゃん。わあ、なんて難しいのだ(笑)。
ちなみに、舞台はTです。どうか、どうか、ルックの歳は考えないでやって下さい・・・。
言い訳に聞こえそうですが、私の設定ではこの時点で初夜はまだですので(!?)、勘弁してやって下さい。
反応は少しばかり恐かったりするのですが、よろしければ感想などいただけると嬉しいです。
華夜('02 10)







   
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