代涙雨天


朝から冷たい雨が降っていた。
そう激しいわけでもないが、決して穏やかとも言えない。
耳に、というよりは腹や胸に響く音をたてて雨粒は大地へと降り注いだ。
あの時降っていた雨も、確かこんな感じだった、とカリムは思う。
本当は思い出したくないことであるはずなのに、視線はいつの間にか窓の外へと向かう。ついには椅子を窓際まで引っ張って行き、そこに腰を落ち着けて雨を眺めることとなった。落ち着くどころの話ではなく、むしろ内部をかき乱されているのだが、何故だか無視はできなかった。
空より降る、細い細いガラスのような雨。激しくもなく、穏やかでもなく。まるで・・・。

(そう、今日のような雨は・・・)










朝から雨が降っているというのに、出掛けると言って聞かない軍主に連れ回されること三時間。ルックの我慢は限界に達しようとしていた。
「で?今度は何処へ行くつもりさ?」
いつも不機嫌そうにしている目をさらに不機嫌の色に染めてルックはトリイを睨んだ。
その翡翠の瞳で『帰る、と言わなきゃ承知しないよ』と訴えられ、トリイはう、と言葉に詰まる。しかし、自分の考えを曲げるつもりはないようで、おずおず、と言った感じではありながらも口を開いた。
「カリムさんのところへ行こうと、思う、んだけど・・・」

ピキ
その瞬間にルックを包んだ怒りのオーラに、その場にいた全ての人が顔を蒼白にして凍りついた。
「ルック、落ち着け。な?」
慌ててシーナが取り成し始める。それに同調するように全員がこくこくと激しく頷く。
「僕は落ち着いてるよ。だから落ち着いた行動を取らせてもらうつもりさ」
ルックの口から出た言葉に、一同はほっ、と肩の力を抜いた。
「じゃ、僕は先に行っているから」
不機嫌な顔のまま、ルックは風を呼んです、と消えた。あまりにも落ち着いた迅速な行動だったため、転移したのだ、と皆が理解するのに一瞬の間があった。
「すごく、落ち着いてたな・・・」
ぼそり、と言ったシーナに、一同は無言で同意した。










カリムの気配を辿って風と共に転移すると、彼は自室の窓際に座っていた。ルックの姿を認めると驚いたような顔をし、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「ルック!どうしたんだい?」
にこにこと笑いながら彼は両手を広げる。ここへおいで、という意味なのだということはすぐにわかったが、無視をした。そしてふと、違和感を感じる。
「別に・・・。トリイに付き合って雨の中を歩くのは嫌だったからね」
「ふうん?本当にそれだけ?」
「は?それだけに決まってるだろ。何を期待してるのかはだいたいわかるけどね・・・」
ふん、と彼を睨むようにして言う。やはりいつもと違う、と思った。
「そこで何をしているのさ?」
窓際から離れようとしないカリムに、ルックは眉を寄せて訊く。
「雨をね、見てるんだ」
さも気分が良い、とでも言うような声音で彼は答えた。けれど彼が本当に上機嫌かどうかなんてすぐにわかる。
「だから・・・」
何でさ、と続けようとしたが、カリムの台詞に遮られた。
「ルックもここへおいでよ。一緒に雨を見よう?」
にっこりとルックに微笑んで、彼は誘う。断るための言葉を吐こうとして一瞬ためらった。
「いつものように僕がそっちへ行って抱きしめたいんだけど、今日はちょっとここを離れたくないんだ」
「っ・・・何それ」
彼のその言葉で先ほどからの違和感の理由が解明された。と同時に苛立ちがこみ上げる。
「その辺のを勝手に借りるよ」
絶対に傍になど行くものか、と顎で本棚を指し示す。どうしてためらったりなどしたのか、と自分自身に腹を立てる。そんなルックに、カリムは小さく苦笑し、いいよ、と言った。そしてすぐ、窓の外へと視線を戻す。
予想外の受け答えに、ルックは眉をひそめた。こんなに早く引き下がったのは初めてのことではないだろうか。こんなにも雨を見たがることも。
カリムは雨を嫌っていたはずなのだ。雨の日には眠くなるのだと言う。昔はこんなことなかったんだけどね、と言いながら寝床に収まっていた。そして本当に、数分もしないうちにすやすやと眠ってしまうのだ。それがいつ頃から始まった習慣なのか予想はついていたけれど、あえて確かめたことはなかった。
そこまで考えて、ふ、と我に返る。自己嫌悪に陥りながら本棚を眺めた。カリムがどうして雨を見ているかなんて、自分には 関係ない。好きにさせておけば良いのだ、と胸中で唱える。そして、そんな理由を無理やりのようにつけていることでさらに自己嫌悪の感情を覚えた。
苛々した気分で本を選ぶ。背表紙の金字を目で辿り、興味を持った題のものを一冊引き抜いた。中身も確かめずに椅子に腰掛ける。雨を見詰める彼の姿を目に入れないように、ただじっと文字を追った。
本は森林の神秘について書かれていた。興味をそそる内容だったし、綺麗でまとまった文章にも好感が持てた。しかしそう思う一方でほとんど集中できていない自分に気付いていた。本を開いてから経過した時間、というのはおそらくほんの数分だろう。
たった数分の沈黙であるのに、その重さにルックはすでに限界を感じていた。
「今日は眠くならないの?」
唐突に問われ、カリムはこちらを見たものの一瞬目を見張って静止していた。ルックは本から顔を上げず、目だけを動かしてそれを見る。
「うん・・・何だかね、寝てられないんだよ・・・こんな雨じゃ・・・」
ふ、と僅かに口元を緩めてカリムは言った。その声はとても静かで。
「・・・?こんな雨?何かおかしなことでもあるの・・・?」
「激しくもなく、けれど決して穏やかでもない・・・まるで・・・」
呟くように、言葉が紡がれる。ルックを見ていた柘榴の瞳は再び、雨を映していた。
「そう、まるですすり泣いているかのような・・・」
「・・・」
カリム、そう呼びかけたつもりだった。しかし、声になってはいなかった。
「昔、誰かが教えてくれたんだ。こういう雨はね、泣きたくても泣けない人がいる日に降るんだよ、って」
「泣きたくても泣けない人・・・」
「うん。その人の代わりに、空が泣いてあげてるんだって。物悲しげなすすり泣いているような雨・・・それはその人の涙が降っているんだよ・・・」
本を、閉じる。窓際まで歩いていって、彼の傍らへ立った。
「誰の涙なんだろうね」
「誰、だろうね・・・。ルックじゃないよね?」
「はぁ?違うに決まってるだろ」
「そっか、良かった」
椅子に座ったままこちらを見上げ、にっこりと笑う。そして、ルックの手を引いて膝の上へ座らせた。
「君ね・・・」
呆れた声は出したが抗いはしなかった。体に回された腕がひどく冷たい。
「あの時も、こんな雨だったよ・・・」
「・・・うん・・・」
カリムの心に消えないしみを作った雨も、誰かのために泣いていたのだ。その「誰か」はおそらく・・・。
「君のでもないの・・・?」
「え・・・?」
「誰の涙が降っているのか、ってことさ」
「ありがと、心配してくれて。僕のでもないよ」
ふふふ、と笑いつつ彼は腕に力を込めて更にルックを寄せた。
「心配してるわけじゃない。ただ、君の話に興味を持っただけだ」
できるだけ冷たくルックは返す。しかし、この雨ではその冷たさもたいして目立ちはしない。
「泣けない人の代わりに泣いてあげている雨、か・・・なかなか上手いことを言う人だね・・・」
それを誰が言ったか、予想はついたけれど、予想がついたことさえ無視をする。
そうしないと、自分の内に眠る汚い思いが這い出してきそうだったから。それだけは絶対に、嫌だった。
「うん・・・」
曇った声でカリムが言う。そしてルックの肩に顔を埋めてきた。
「・・・?カリム?」
「うん、ルックが傍にいたら安心できて・・・眠くなってきちゃったよ・・・」
「何を言ってんだか・・・」
「ねえ、ちょっとだけ・・・このまま眠ってもいいかな・・・?」
呼吸のついで、といった程度の声でカリムが囁く。
「あのね・・・」
「ほんの少しだけ・・・トリイたちが来たら起こしてよ」
「仕方がないね・・・トリイたちが少しでも早く来れるように雨を止ませないといけないね・・・」
溜め息混じりに言った言葉に、カリムは少し笑ったような気がしたが、確かめようとした時にはもう寝息を立てていた。
カリムの腕に抱きこまれたまま、ルックは雨に加えて暴風に襲われたらトリイたちは諦めて帰るだろうか、などと考えていた。














  
泣けない人のために泣いているのなら、どうか存分に泣いてあげて

でも、かれを苦しめるだけの雨なら、今すぐにでも止んでしまって














「代涙雨天」、これは華夜が五月に出した本、「Tears」に掲載予定だったものです。ページ数の都合上載せられなかったのですが、 眠らせておくにはもったいなかったので今回梅雨時にあわせてアップ致しました。
この話、タイトルがなかなか気に入っているのです。中身より先にタイトルが決まったのはひょっとしたら初めてのことかもしれません。 坊ちゃんと雨の話、というのも書きたかった話なので今回結構満足しています。・・・文章力はまだまだ全然ですが・・・。
日々精進いたします。
華夜('03 06)







   
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