手の音が呼ぶ夕焼け



触れられて、触れてしまって、また触れられて。
ねぇ、今鬼なのはどっち?










今からお休み!明日も一日お休み!とトリイが言い出すことはそう珍しいことではなかった。けれどもやはり久々の休みで、皆喜んでそれぞれに羽を伸ばしていた。
暖かくて、気持ちのいい午後だった。いや、もしかしたら本当はそんなに暖かな気候ではなかったのかもしれないのだけれど。
少なくとも、ルックにとっては暖かな午後だった。本人は暖かいんじゃなくて暑苦しいんだ、と言っただろうが。
いきなり降った休みを、ルックは自室のベッドの上で読書をして過ごしていた。そのルックの身体を、カリムは当たり前のような顔をして後ろから抱きしめていた。時折りルックが本から目を離して鬱陶しいと言いたげな視線を投げかけるけれど、気付かぬふりをして微笑んだ。
その度に、ルックは一つ溜め息を吐いて、その度に、カリムは溜め息なんて吐いちゃダメだよ、と言う。
同じ時が繰り返しているかのようで、しかし確実にルックの本のページは進んでいた。
カリムはルックを抱きしめたまま、くつろいだ表情でぼんやりと窓の外を見ていた。外では子供たちが走り回って遊んでいるようで、楽しそうな声が部屋の中まで聞こえてくる。カリムはしばらくそれを面白そうに眺めていたけれど、ふいに何か思いついたように顔を輝かせた。もし、その様子をルックが見ていたのなら、何か自分にとってよくないことが起こるであろうことを瞬時に察知してその場から逃れる行動を開始しただろう。しかしそのルックは文字を追うことに集中していた。
「ルック、外で遊ぼうか」
「……は?」
あまりに自然に発せられた、あまりに不自然な言葉に、ルックは一瞬戸惑ったようだった。本から顔を上げ、自分を抱えるカリムの顔を、驚きの眼差しで見上げている。
「こんなにいいお天気なんだし。あそこで鬼ごっこしてる子たちに混ぜてもらおうよ」
ルックの瞳の光が、驚きから呆れに変わっていくのもお構いなしにカリムはにこにこと続けた。それは何のたくらみもなく、ただ走り回りたいと思う少年の笑顔だった。
「……君、本気で言ってるの?」
「もちろん本気だよ?」
ルックは完全に呆れ顔で、一度溜め息と一緒に目を細めた。けれどそれは、何か眩しいものを見たような仕草だった。
「あ、そ。別に止めはしないけどね、僕はごめんだよ。一人で行ってくれば」
「えぇ?嫌だよ、そんなの楽しさ半減じゃない。僕はルックと一緒に鬼ごっこがしたいんだから」
「あのね、勝手なこと言わないでくれる?僕は鬼ごっこなんてしたくないんだ」
「どうして?」
理由が分からないわけでもないだろうに、カリムは首までかしげてそんなことを訊いた。ルックはそれがさも不快だと言いたげに顔をしかめる。
「どうして、ってね…。そんな無駄に疲れるようなことはしたくない」
「無駄じゃないよ、楽しめるじゃない。それに、今日の午後から明日一日はお休みなんだよ?ゆっくり休めるから大丈夫だよ」
「自分を基準にして簡単に大丈夫とか言わないでくれる?…しないよ、鬼ごっこなんか。だいたい、そんなことする歳でもないだろ」
「それは、まぁ、そうかもしれないけどね。でも」
カリムは困ったように口篭もっていたけれど、すぐに満面の笑顔になり、ベッドから降りてルックの手を取った。
「僕は鬼ごっこをする歳のときのルックを見たことがないもの」
だから、今しよう。
そう言葉を続けて、ルックの手を引き、カリムは駆け出した。










「捕まえたぁ!!緑のお兄ちゃん、鬼だからねーっ!」
髪をおさげにした女の子が、ルックの背に小さな手で触れ、叫びながら走り出した。ルックはいかにもしまった、という顔でその姿を見詰める。
カリムに半ば引きずられるようにして、ルックは外へと出てきていた。いきなり現れ、一緒に鬼ごっこをさせて、と言ってきた二人──正確には言ったのは一人だが──に、子供たちは最初戸惑っていたが、さすが子供の順応性と言おうか、すぐになじんでまるで昔からの友だちのように走り回っていた。
ルックは外に出てしまったというのにまだやろうという決心はつかなかったようで、極めて非積極的だった。自分が鬼になれば追い掛け回さないとゲームが成立しなくなる。だからそれを避け、鬼にならない程度に逃げ続けて終わらせよう、とでも考えたらしい。更に、相手は子供だどうとでもなる、という考えがあったのは明らかで、それが裏目に出た。
ルックはしばし、その場に立ったままだった。走って追いかけねばならないのはわかっていたのだろうが、それをしあぐねているようだった。
その様子に気付いたのか、それともただ単に子供たちと楽しんでいたからか。カリムは立ったままのルックを見ていたが、周りで鬼が来るのを待つ子供たちに何やら言われると、にっこりと笑いかけて頷いた。そして。
「おーにさんこちら!手の鳴る方へ〜っ!!」
カリムと子供たちは声を合わせ、ルックに向かってそう叫んだ。言い終わるが早いか、手を叩きながらそれぞればらばらに逃げ出した。きゃあきゃあと楽しそうな声が響く。
鬼さんこちら、手の鳴る方へ。鬼ごっこをする時の決り文句。可愛らしい挑発の台詞。
それに乗せられたわけでもないだろうけれど。ルックは覚悟を決めたかのように前を見据えた。
そして一気に駆け出した。

走って、走った。

カリムは追ってくるルックを気にしながら。ルックはただひたすらその背を睨んで。
足の下の柔らかな草を蹴散らし、頬をなでる暖かな風を切り裂き。

走って、走って。

「捕まえたっ……!」
ルックは思い切り手を伸ばし、カリムの背中、赤い服をしっかりとつかんだ。
「捕まったぁ……」
カリムはいきなり引き止められ、つんのめるようにして走るのをやめた。
しばらく、二人はそのままでいた。さすがにカリムはそれほどでもなかったが、ルックは完全に息が上がっていて、はあはあと苦しそうに肩で息をしていた。まともに話が出来ないほどだ。
「ルック、大丈夫?」
「だい、じょうぶかだって……?」
ルックは切れ切れに言った。声はかすれていて、誰が聞いてもとても大丈夫だとは思えないだろう。しかし。
「大丈夫、に、決まってるだろ……っ!」
ルックはそう言い放つと、服を握り締めていた手を開いた。懸命に呼吸を整えながら、周りを見る。と、子供たちがまたもや動かなくなった鬼にじれていた。
ルックはその子供たちの方へ駆け出し、目配せをするとカリムを振り返った。
「おーにさんこちら!手の鳴る方へ〜っ!!」
子供たちはまた、楽しそうな声を上げて走り出す。ルックとカリムはふと、視線を合わせた。
カリムが楽しそうに嬉しそうに、顔いっぱいに笑う。ルックはそれにつられたように微笑んだ。
そしてまた、二人は駆け出した。

走って、走って。

鬼さんこちら、手の鳴る方へ。
その声と、手の音に招かれたと思ったのか。ゆっくりと、空に夕焼けが現れ始めていた。










「は〜。さすがに僕も疲れたよ」
カリムはそう言いながら、ルックの部屋に入った。ルックは何も言わず後に続く。相当疲弊しているようだった。それもそうだろう。ふだん走り回ることのないルックが、ずっと全力疾走で逃げたり追いかけたりしていたのだから。
「ルック、見て!凄く綺麗だよ」
カリムは窓の外に目を留め、その燃えるような美しい空に見惚れた。ルックもその言葉に反応して、俯き気味だった顔を上げる。カリムの隣に並んで、窓の外を見た。
「……」
何の感想も返さなかったが、カリムは顔を見ずとも雰囲気でルックも見惚れていることを知った。
「明日も晴れだね」
「うん」
ただしばらく、夕焼けを見詰め、太陽が沈んでいく様を見守った。
へとへとになるまで遊んで。そしてもう動けない、と思ったときに夕焼けが現れて。よく遊んだね、って言ってくれてるみたいに。
そんなことを繰り返していた幼い頃を思い出思い出す者。そんなことを繰り返すことに憧れていた幼い頃を思い出す者。
同じ夕焼けを、見て。
「ルック、楽しかった?」
「…………喉が渇いた」
カリムが期待に満ちた笑顔でルックの顔を見ると、ルックは憮然と一言だけ言った。
「あはは、そうだよね。ずっと走りっぱなしだったもんね……」
カリムはそう言うと、ぐっとルックに顔を近づけ、その唇に深く口付けた。
「……!」
ルックは目を見張ったが、すぐに仕方ない、というようにカリムの舌に応えた。
二人、唾液が混ざり合って。渇ききった口内は音を立てるほどに湿っていく。
「ふ……」
カリムの唇がゆっくり離れるのと同時に僅か、ルックの口から声が漏れた。
「どう?少しは潤った?」
未だ至近距離で、カリムはルックに囁く。ルックはそんなカリムをぐ、と睨んだ。頬が赤いのは夕焼けに染められているように赤い。もしかしたら本当に、それだけなのかもしれないが。
「君ね……。こんなので足りると思ってるの?」
「うん、僕も足りないよ?」
また唇を重ねようとするカリムを、ルックは思い切り押しのけた。
「バカ!誰の所為で僕が疲れてると思ってるのさ!?」
「あはは、ごめんルック。レオナさんに何か飲み物もらってくるよ。すぐに帰って来て満たしてあげるから待ってて?」
「おかしな言い方をするなっ!!」
ルックが怒鳴ると、カリムはまたあはは、と快活に笑って部屋から出て行った。
ただ一人、ルックはまた夕焼けを見る。太陽の姿はもうほとんど見えず、夕焼けの炎は夕闇に押しつぶされようとしていた。
それをただ、見詰めながら。
ルックはそっと自分の唇に触れた。
「全然、足りないよ」
ほつり、呟いた言葉は、疲れきった体にゆっくり、溶けていく。










触れられて、触れてしまって、また触れられて。
ねぇ、今鬼なのはどっち?

ねぇ、先に触れたのはどっちだった?


  



鬼ごっこをさせてみました。
ただ単に二人が童心にかえって無邪気に遊ぶ話にしようと思ったんですけど、一番書きたい部分が途中ですりかわってきちゃって…;
いつもと違う文体に挑戦した為にちょっと無機質な感じになってしまいましたしね;
それでも少しでも二人が鬼ごっこを楽しんでる姿が伝えられたなら幸いです。
ありがとうございました!
華夜(05・4)









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