月に届かない


結局、見上げることしかできないのだろうか。
気付くとまた、そんなことを考えている。答えなどわかりきっていて、胸の内には自分を納得させるだけの理由もあるというのに。
好きだった。
好き、だった。
過去形になっているはずなのに。なっていると信じていたのに。
裏切られてしまった。自分の心に。
閉めたはずの窓。開け放した一迅の風。この身は再び、苦しい夜に晒されるのか。





あの子の好きな花はあの町でしか手に入らない。この子の好きなチョコレートは有名店のとびっきり。
別にメモを残してるわけではないけれど、そういうことは忘れずに覚えておけるタチだ。──付き合ってる間は。もう自分に関係がなくなったことは、昔は何よりも大切だったはずのことでもあっさり忘れてしまえる。
だから今回も、同じように出来ると思っていたのに。
(もの凄くカッコ悪くないか、俺)
カイルはちょっと、ため息をついた。
そういえば昔、ため息をつくと幸せが逃げていくよ、と教えてくれた女の子がいたけれど…、何と言う名前だったか。
(ほら、こんなふうに)
忘れるのなんて簡単なはずなのに。
(なんだかな)
最近どうも上手くいっていない気がする。原因はたぶん、と考えて、いやいや、と思い直す。
頭がおかしくなりそうだ、とカイルは思った。

『あんたさ、王子さんのこと好きなんだろ』

思い出すと、ため息が出る。まるで呼吸が上手くできなくなったかのように、何度も。
まったく失態もいいところだ。あんな台詞に動揺するとは。
先日、ロイに言われた言葉である。なんでそう思うのかなどと訊き返さなくて良かった、とせめてもの救いのようにそう思う。それよりも、なんでそんなことをロイが言うのか、ということを訊くべきだったかな、とカイルは今更ながらに考えた。
ロイに嫌がらせめいたことをされる積極的な理由はないはずだった。少なくともカイルは、表立って彼に嫌われるような言動をしたことはない。ただ生理的に気に入らないから、という理由かもしれない。昔からそういうことは多かった。ザハークなんかもそうだったんだろうな、と元同僚の生真面目な顔を思い出してカイルは苦笑する。
ロイもきっとそうだろう、と思いつつも、もしかして、と思う。
もしかして、彼は気付いたのではないか。
ほんの少しではあったけれど、カイルの中に『こんな奴が王子の影武者などとは』という冷ややかな思いがあったことに。
もしそうであるなら、ロイへの蔑みではないということを弁解させて欲しい、とカイルは思った。ただ。ただ自分は。

好きなんだろ。

図星を指された、とは思わなかった。あの時は。なのにあの台詞を聞いた瞬間、必要以上にどきりとし、予想以上に心が冷えた。
愕然とした。
あれが『好きだったんだろ』と言われたのだったら、あそこまで動揺はしなかっただろうと思う。実際そうだったのだし、今更なかったことになんかできない。いや、むしろしたくはない。
『あなたは……、ただひたすら愛してください』
カイルは以前、ゲオルグにそう言ったことがある。あの台詞を後悔したことは、なかったはずなのに。
なのに。

好きなんだろ。

未だ、頭の中で繰り返し響く。ロイを蔑んだのではない。
ただ自分は、ユズを大切に想い過ぎて。
ああ、やっぱり。
「はー」
「でかいため息」
「わああ!?」
このタイミングの悪さはなんだ。いや、もしかしたら良さなのかもしれないけれどもそれはどっちでも良い。
「あはは、カイルが素で驚くなんて珍しいよね!いいもの見ちゃったなぁ」
振り向けばそこには銀の髪の少年が微笑んでいた。
(王子……なわけないって)
ユズは、今ここにはいない。
「あ、そういえばロイ君、今王子のカッコしてるんでしたねー。真面目にお仕事してますね、えらいえらい」
目の前にいるのは、その影武者。周りに誰もいないのを確認して、“ロイに”にっこり、微笑み返す。
ユズは通常通り、城にいることになっている。しかし実際は、スカルドに会う為少人数のパーティで外出中だ。リオンは言わずもがなだが、今回のパーティメンバーには。
「リオンと」
そこで影武者の少年は一息置く。
「ゲオルグ」
人知れず人の悪い微笑みを見せて。
「がいないから寂しいんだ、僕」
だから、と彼は本当に良く似た声色を出して言う。徹底した仕事ぶりというべきなのか、それともただの嫌がらせか。
「だから、遊んでよカイル」

眩暈が。

「今はお仕事中でしょー?また今度にしましょうー?」
笑顔は崩さずそう言うと、カイルはじゃあまたー、と言ってその場を離れようと、した。
「代用品じゃダメですよー、ってか」
くく、と低く笑う声。カイルは素早く振り向いて、ロイを見据えた。ばしん、という音が聞こえた気がした。何かの、合図。
すでに入っていたらしいヒビから隙間が出来てゆく。
「代用品?」
ふざけるなよ、という台詞は辛うじて声にならずに喉に詰まった。音がしていた。喉や胸や頭の奥で。
「ロイ君は影武者です。影武者は代用品とは違いますよー」
色の違う瞳にぐ、と顔を近付けて、あくまでもにこやかに言う。音がしている。ビキビキばしばしガタガタぐらぐら。吹き込む風。
「代わりには、なれないよー?」
「そうかもな」
ロイはにやり、と笑う。
見透かすみたいに。
「ま、どんなに頑張ったって王子さんには届かねぇよ」
オレも、あんたも。
口にこそ出さなかったが、ロイは明らかにそう言った。
悔しさとも怒りともつかない感情が、カイルの中を駆け巡る。
(そんなことはわかってんだよ!)
バタバタざわざわギリギリだかだか。にっこり、笑って。冷えてゆく奥。
「王子は王子、ロイ君はロイ君でしょー。影武者っていうのはその辺と折り目をつけるのが難しいんでしょうけど。間違えちゃダメだよー?」
ロイはちょっと、驚いたような顔をした。ほら、大人ぶってたってまだ子供なんだから。同じ顔をしているのにあまりに違う、ということにただ屈折した思いを抱いていたんだろう。それを、生理的に気に入らないカイルに八つ当たりしていただけなのだ。
本気で思ってもいないくせに、カイルはそんなふうに理由付けをした。これで終わりにしたかった。体中で響き始めたこの音が、響き始めだというのにもう充分不穏なこの音が、何かを壊してしまう前に。
これで終わりに
「へー」
したいのに、ロイは平気でニヤリと笑う。笑い以外の何かを含んだ瞳で。
「意外だぜ。そんな模範解答みたいなこと言うんだな、あんた。代名詞が不良騎士なくせに」
「あはは、それって褒めてるー?」
「いや、全く」
楽しそうに言うものの、ロイの瞳は笑いを帯びぬままだ。ギシギシがらがらドコドコどくどく。揺さぶられる足元。
「不真面目を装ってるのって楽だもんな。へらへらと上手いこと言ってれば切り抜けられる、しかも他人からの良い印象を持たれることも多い…まぁこれは五分五分か。そういうポジションって、一度手に入れるとかなり便利だよな。今みたいにちょっといつもとギャップのある“良い台詞”なんかをぶつければ一発で高感度アップだろうしな」
「……はー。手厳しいなー、ロイ君。オレってそんな性悪だと思われてるんですねー……」
これくらいで顔が引きつってたまるか、と思ったのは意地だろうか。あの台詞になんともみっともなく動揺してしまった自分を、カイルはまだ忌々しく思っているらしい。
(ああ、やっぱり)
忘れることが容易ではなくなってきている。
「…いいかげんにしろよな」
ロイの口調が苛立った。表情が瞳とシンクロしてゆく。ニヤリ、という口の形も失われてゆく。
「ホント腹立つんだよ、あんたみたいにいつまでもどこまでも本音言わない奴。へらへらはぐらかして、調子いいこと言って、人の痛みにやけに敏感かと思えば自分の痛みは欠片も見せやがらねえ!…そういうとこは王子さん、あんたに習ったんだろうな、きっと」
でも、とロイは続ける。
「少なくともあんたの大好きな王子さんは、ちゃんと本音で話すんだぜ?」
「…………」
本音。
そんなもの。
ビキビキばしばしガタガタぐらぐら。
(言えるわけないじゃないか)
言ってしまえば、あのときの言葉が嘘になってしまう。誠実に出したと信じていた答えが間違いになってしまう。自分を、ユズを、騙したことになってしまう。
「どうせ、カッコいいこと言って身を引いたんだろ?」
『過去形です』
そう言わなかったか?
バタバタざわざわギリギリだかだか。
(言ったんだ。本音だったんだ)
「本音を言う前に、逃げたんだろ?」
ギシギシがらがらドコドコどくどく。
(本音だったんだ…)
「手に入れるための押しより、嫌われないための引きの方が楽だもんな。そして失うものも少ない」

ビキビキばしばしガタガタぐらぐらバタバタざわざわギリギリだかだかギシギシがらがらドコドコどくどく。

「本音だったんだ!!」
はっと口元を押さえたときには、もう遅かった。
ロイは一瞬、ひどく怪訝な顔をして、すぐにニヤリ、と笑った。けれどやはり、瞳は笑っていない。
「どうして思い出させる!?もう決着はついてるんだ、望みはない!最初から…。そんなものはない……」
それはとうの昔に、奪われたものだから。一瞬にして惹かれあった二人を目の当たりにした、その一瞬に、一瞬にして。
「一目見ればわかるはずだ、あの二人の間に割って入ることなど出来ない。悟ったんだ。それだけ想ってもオレの想いは取るに足らない。悟ったんだ!」
ファレナ女王アルシュタートが命を落としたときに悟った、自分にとっての一番。ユズへの恋慕がアルシュタートへの敬意と思慕を上回らなかった自分に対する憎悪を感じ、そう感じた自分に絶望した。自分がとてつもなく醜く、情けなく、浅ましい人間に見えた。こんな自分に、ユズを愛す資格などないと思った。
だから。
カイルはアルシュタートを言い訳にして、自分に潔さを選ばせた。
「……それでも…それでもオレは……」
ひたすら愛する役目を、ゲオルグに託してもなお。王子を一番に想えなかった自分に失望してもなお。ユズが一番に愛している相手が自分ではないと身にしみていても、なお。
(やっぱりオレは……)
その資格がなくても。
「王子が好きなんだ……」
いつの間にか独り言めいていたことに、カイルが気付いていたのか、どうか。ロイの表情の変化に気付いていたのか、どうか。彼の瞳が笑っていない理由を知りえたのか、どうか。
「カイル……」
囁きと共に首に触れたぬくもりに、カイルの背は震えた。またしても不意打ちだ。
「カイル……」
彼はそっくりな声音で囁き、両腕を首に回して身体を寄せてくる。
(王子……なわけない)
わかっている。わかっている。
「カイル……」
王子さんの代わりになんてなれねぇよ。軍にとっての、民にとっての王子さんの代わりには、な。

でも、あんたにとっての代わりになら…?

口に出してこそ言わなかったが、ロイはたぶん、そう言った。この甘美な囁きは、そんな毒を含んでいる。
わかっている。わかっている。
「カイル……、大好き……」

眩暈が。

(ああ、落ちてきた)
見上げることしか出来なかったはずの明かりが。
大きな、月が。
その月にはなぜか亀裂が入っている。それにも気付いているのに。



カイルは寄せられた身体を、力いっぱい抱きしめた。




  


あとがき
読みたい方のみ反転させてどうぞ…。
でもこれ、まだカイロイじゃないよね?
…あああごめんなさい…。そしてどんどん救えない方向へ走っているような…;
そしてこのお話、ちょっと不親切な書き方をしてしまいました。ごめんなさい。
ゲオ王小説の「手折れぬ花」を読んでいただくとちょっとわかりやすいかと思います。
そのゲオ王小説の方で、あんまりあっさりカイルに王子への想いを手放させてしまったのですが、そんなことはできまい、とわかっていまして。
確かにカイルはスマートでカッコいいんですけど、それがいつもカッコいいとは限らないじゃないですか。
好きで好きでたまらない想いくらい吐き出させてあげたいよなぁ、って思うんです。
こういう形でそれを表現してしまったのはひとえに私の性格の悪さですが…;
あああ、何を書いてるのかわからなくなってきちゃったよ…。
とにかく、この二人はここでようやくスタートしましたー。
ご拝読ありがとうございました!
華夜(07.03)

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