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いつからだろう、宇宙が怖くなったのは。
視界に入っている星を数えながら、ティエリアは考える。見えるものだけを数えても意味はない、と知っていたけれど。
宇宙で声は聞こえない。音というものは振動で、宇宙空間にはその振動を伝える空気がない。人工的な通信機器なしには、どれだけ力を振り絞って叫んだとて一言も伝わりはしないのだ。
(だから、今ここから伝えようとしても声は届かない)
けれど、こちらから向こうへ届かないのと同じように、向こうからもこちらへは決して届かない。もし『誰か』がティエリアに『何か』を伝えようと叫んでいたとしても、ティエリアにはわかりようもないのだ。 だから。
もしかしたら。
『向こう』で。
叫んでいてくれるのかもしれない、と考えても、それは、全くの間違いだと言い切ることは出来ないのではないか、なんて。
(馬鹿な)
心中に吐き捨てるようにして、ティエリアはかぶりを振る。いつまで、こんなことを続けるつもりなのだろう。自分がこんなにも未練がましい気質を持っているとは思わなかった、と忌々しくなる。きちんと、気持ちに区切りを付けたはずなのに。『彼』に対する気持ちを。
(『彼』への想いを、違うものに昇華したつもり、だった)
所詮は「つもり」だったということだろうか。記憶を呼び戻すきっかけが、目の前に溢れた途端にこのザマだ。ティエリアは苦笑する。その歪んだ笑顔が星を透かすガラスに映って、何だか無性に泣きたくなった。

『彼』の名前を、あえて呼ばない。ここで呼んでも、届きはしないから。

わかっていたのに、なぜ呼んでしまうのだろう。しかも、その声が刃となり得る場でばかり。
「っ……」
もう何度もこの身を襲った後悔の波が、ティエリアの胸に打ち寄せた。呼ぶたびに、ティエリアは大切な人を傷つけている。我ながら空虚だと思う謝罪を受け取って、その人はいつも、構わない、と抱きしめるけれど。
四年ぶりに再会したときの、視界の揺らぎを、鮮明に思い出すことができる。ティエリアは、あんなにも「会いたかった」と思った自分に驚いた。ティエリアにとって思い出さない方が精神の平穏を保てる、そういった種類の記憶を呼び戻すきっかけに、その人がなるだろうことはわかっていたにも関わらず。
「刹那……」
その人の名を、無意識に口にしていた。
「……呼んだか」
「!?」
全く予期していなかった返答の声に、ティエリアは勢い良く振り向いた。
「邪魔をしたか?」
「……いや。しかし、なぜ」
明らかに動揺した態度で、ティエリアは尋ねた。刹那はダブルオーの動作調整をイアンたちと行っていたはずだった。普段ならばティエリアも同席しているのだが、彼の足は展望室へ向ってしまっていた。今日の自分は集中力を欠いている、という自覚があったからだった。
(どうせ役に立たぬのなら初めからいない方が良いだろうと思ったのだが……、余計な心配をかけたか)
「動作テストは無事に終わった」
「そうか。同席すべきだったな、すまない」
「いや、大丈夫だ。特に問題もなくスムーズに済んだ。他の者で用が足りるのならば、できるだけ手を出さないでおけ。お前にしかできない仕事が多いとはいえ、今のままではあまりに負荷が大きすぎる」
(疲れているのでは、ないが)
「……そうだな。ありがとう」
大丈夫だ、という言葉を飲み込んでティエリアは謝辞を述べた。心配される、ということの幸福を四年のうちに理解したのだ。
「テスト報告のためにわざわざ立ち寄ってくれたのか?」
「いや……、呼ばれるような気がしたから、来た」
刹那はそう言って……、ふっと微笑んだ。それでティエリアもようやく苦笑する。自分の表情が硬かったことに、ここで気付いた。
「……君の冗談はわかりにくい」
「それは、すまない。しかし全くの冗談でもない……、半分本気だ」
「そうか。じゃあ君は僕の呼びかけに返事をするためだけに来てくれたというわけか。手間をかけさせてすまないな」
ティエリアが笑いながら肩を竦めると、刹那は穏やかな笑顔のまま頷いた。
「期待した応えが返って来ない呼びかけと、返事を期待しない呼びかけ……。どちらも同じくらい寂しい」
「っ!」

期待した応えが返って来ない呼びかけも。
返事を期待しない呼びかけも。

(サミシイ……)
ひどく打ちのめされた気持ちで、ティエリアの眼はまた大きく開かれた。
予想だにしていなかった衝撃が全身を襲う。それは、睦言の合間に『彼』の名前を呼んでしまったときの感覚に似ていた。
(サミシイ……)
刹那が口に出す言葉は、いつだって彼にとっての真実で、本音だ。ティエリアはそれを良く知っていた。迷いがなく、確信に満ちている。それが例え一般的な回答や普遍的な事実でなかったとしても、少しも恐れることがない。そういった発言の仕方は、四年前と変わらない。
だからその言葉は、実に鋭利な凶器となってティエリアを貫いた。
(サミシイ……)
「ティエリア?」
訝しげな声で名前を呼ばれる。しかしそれはティエリアの耳に上手く届いて来なかった。キィィイイ、と耳鳴りがティエリアの脳に響く。
刹那にとってもこのティエリアの反応は予想だにしていなかったのに違いなかった。どうした、という問いかけがなされようとして、その瞬間に。
「「!!!」」
警報がけたたましくトレミー全体を震わせた。
「敵襲か!?」
ティエリアの耳鳴りが、吹き飛んだ。
「そんなはずは」
「とにかく急ごう。ダブルオーの発進準備に入る!」
「了解」
意識は一瞬にして切り替わったが、同時に一瞬前の衝撃は霧散することなくティエリアの胸に残った。
ここは戦場で、宇宙だ。
無限の空間のどこへも行かずに、ティエリアの胸に残った。





  


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