奪 ─カイル編─


───奪われた。
直感的にそう思った。嵐だった。どこからどうやってきたのかわからない。稲妻、津波、暴風、豪雨。それらがあっという間に。
眩暈が、した。
何を奪われたのか。
わかっているのに認められなかった。





この気持ちに気づいたのは、一体いつだろうか。カイルはふと考えた。考えたけれど、思い出せそうになかった。遠い昔のことだから、というわけではない。はっと気づく、という瞬間的な変化を得なかったからだ。
カイルにとっての『一番』はアルシュタート女王陛下であり、それは今も変わっていない。それは絶対的な忠誠。この世で最強と言われているどんなものにも、この忠誠を打ち砕くことはできないと無意識に思っていた。だから、というのもおかしいが、アルシュタートの息子であるユズや娘であり王位継承者であるリムスレーアにも同じような思いで仕えているつもりだった。
つもり、だった。
(バカだよなぁ)
これは裏切りだ。一人の主君に忠誠を誓った男が、主君の宝を手に入れたいと狙っているも同じ。たとえその忠誠には少しの曇りも生じていないとしても、言い訳にはならないだろう。
そうやって、罪の意識にも似た後ろめたさを感じているのに、想ってしまうことをやめられない。
(王子、早く帰ってこないかなぁ)
あの美しい笑顔が、早く見たかった。
ファレナの王子・ユズは、ロードレイク視察に出かけていた。もう何日王宮を離れているだろう。カイルの心配は、日々募っていた。
優秀な女王騎士見習いのリオンが護衛している、だとか、叔母のサイアリーズも同行している、だとか、更には女王騎士長フェリドお墨付きのゲオルグ・プライムがついている、だとか。王子の身の安全に関しては十分に安心できるであろうあらゆる要素も、カイルには何の役にも立たなかった。
(だって)
カイルの心配はユズの身の安全などではないのだから。
(そう、俺は)
ユズの心配をしているのではない。自分の心配をしているのだ。
カイルは一人、自嘲的な笑いに顔を歪ませた。なんて、愚かな。けれどいくら自分を嘲笑したとて、所詮自分が自分に行う蔑みなどたいした痛みを伴わない。だからこそ、
「お帰りなさい、王子」
その人を目の前にするといとも容易く愚考に身を落とす。この人が愛しいとしか、考えられなくなる。
飛びついて思い切り抱きしめたい、という思いを抑えつつ、カイルは満面の笑みでユズを迎えた。カイルはユズの姿を見るたび、彼には無条件に心を溶かす何かが備わっていると思わされてならない。
「ただいま、カイル」
ユズは穏やかに微笑んだ。カイルが待ち望んでいた、美しい笑顔。
しかしその笑顔はいつもより少し、憂いを含んでいるような気がした。その原因はきっと、先ほどの貴族の陰口ではないだろう、という気もした。
(やっぱり王子は……)
いや、とカイルは思考をとめた。思い込みだ。心配のしすぎだ。先ほど自嘲したばかりだというのに、その心配の方向が自分だと言うことを意識することなくカイルは思った。ユズはあのロードレイクを視察に行ったのだ。晴れやかな気分でいる方がおかしかろう。
けれど。
いくらそう自分に言い訳しても無駄だということは、はっきりとわかっていた。ただの勘違いで済ますことができるほど、あの衝撃は軽くはなかった。でも。それでも。
勘違いだと思っていたかった。奪われたものを自覚してしまったら、自分はもう一気に空っぽになってしまう気がした。
女王騎士の詰め所にいらっしゃい、などと笑顔でユズを誘いながら、カイルは全身を締め付けられているような気がしていた。愛しくて、仕方がないのに。
「よう」
詰め所の扉を開け、中に入ると、騎士は皆それぞれにユズに礼を取った。その中でも一番気安げな声をかけた男──ゲオルグを、カイルは複雑な思いで見やった。カイルがゲオルグと顔を合わせたとき、その場にはユズとフェリドが一緒にいた。もし、ゲオルグ一人だけと顔を合わせていたのならあの衝撃には襲われなかったであろう。
ゲオルグと、ユズ。この二人を同時に視界に入れたとき、カイルはこれ以上はないほどに打ちのめされた。直感だった。きっとこの二人はお互いがお互いにとってかけがえのない存在となるであろうと。
奪われたのだ。──ユズを?いや、それは違う。その表現は正しくない。ユズは一瞬たりともカイルのものであったことはないのだから。
奪われたのは。
「王子」
もう一度リムスレーアを探しに行く、と言うユズをカイルは思わず呼び止めた。
「何、カイル?」
まだあどけなさを残す笑顔。幼い頃から兄のように思っていた女王騎士が、自分のことをどう考えているかを知ったら、その笑顔はどんなふうに歪むのだろうか。
考えたく、なかった。
「王子、ゲオルグ殿と一緒にいて何か感じませんでした?」
狡い質問だった。こうやって問うておいて、ユズの表情の変化を読み取ろうと思っている自分には吐き気がした。けれどやめられなかった。少しの変化も読み取れる自信はあった。
けれど。
「どういうこと?」
少しの動揺も見せず、ユズは訊き返した。カイルは表情に出すことだけはなんとか堪えたものの、内心では愕然としていた。
(いつの間にそんな技を身につけちゃったんです?)
問いただしたいと思った。ゲオルグのことをどう思っていたのか、今はどう思っているのか、そして、
(俺のことは)
「んー、ゲオルグ殿ってなんというか、底がが知れないというか…。フェリド様はあんな凄い人どこから連れてきたのかなー?」
もっともらしいことを答えながら、カイルは思う。これこそがユズの想いを物語っているではないか、と。カイルにも気づかせたくない種類の想いがあるのだと、ダメ押ししている。
リムに会いに行かなきゃ、と笑顔で言って、ユズはカイルに背を向けた。
(あぁ、行ってしまう)
あの瞬間に奪われたのは、希望。
『王子に愛されることもあるかもしれない』という、愚かな愚かな希望。…最初からないのと同じような、ちっぽけな。でもカイルにとっては大切な。
奪われたことによって感じたのは憎しみとか怒りとかではない。落胆と、納得。それを感じた自分への悔しさ。
だってもう、何をしたってかなわない。
わかっているのに。
「王子?」
リオンの戸惑ったような声に、カイルはユズがまだ詰め所を出て行っていないことに気づいた。そして同時に。
(あ)
扉のすぐ前で立ち止まったユズの背中からは、ただ一つの想いが滲み出ていた。きっと、きっと彼は今完全に自分の想いを自覚したのだろう。
(ほら、ね。ダメ押し)
感じたのは、落胆と納得。そして焼けるような思慕。
もうとうに自分のものではなくなっているのに、まだ希望を持ち続けているかのごとく、カイルは想い続けた。
数週間後、カイルはストームフィストから帰ったユズの変化を見た後も。ずっと、ずっと。





なんかカイルただのウザい人になっちゃったー!ごめーん!
これにて「奪」完結です。私のXは単純に書くと「ゲオルグ×王子←カイル」なんだよ、っていう設定披露なお話でした。
ご拝読ありがとうございました。
華夜(06.06)
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