奪  ─ゲオルグ編─


────奪われた。
直感的にそう思った。高波だった。青い水平線から、銀の高波。それが頭から飲み込んだ。出会った瞬間に。
目が、くらんだ。
何が奪われたのか。
そんなことはそのときにわかっていた。





まるでユズの成長のために用意されていたかのような展開だと、ゲオルグは思った。
(まぁ、考えすぎだな)
一人苦笑しながらゲオルグは考え直す。
あの年頃は、新しい体験であればどんなことも成長を促す要素になりえるだろう。ことに王宮で育った聡明な王子にとっては。
シュンに出会い、地下通路を抜けてアーメス人を見つけた。開会の儀式も見事にこなした。ベルクートという剣士と知り合い、彼への襲撃を防いだり誘拐されたマリノを救出したりした。
ユズは闘技奴隷の実状を目の当たりにし、極端な考えを持った貴族が存在することを知った。
これらの事件から得たものはそれだけではなかろう。
一日ごと、一秒ごとに、ユズは確実に成長している。ストームフィストへ来て、その速度はさらに増したように思われる。
伸びやかに、しなやかに、強く。けれど何も損なわないままで。
それを嬉しく思いながら、同等の勢いでやめて欲しい、と思う。
そうやって成長してゆくユズを見ていると、自分の想いまで成長してゆくように思われて仕方がなくなるのだ。
成長してゆく過程、可能性、未来。それらごと、全て手に入れたいという、この愚かしさを極めた想いまでもが。
──俺はこの人の為に死ぬのだろう──
それは確信だ。剣士は一生に一人だけ、そう感じることのできる主人に巡り会えるらしい。この人の為なら死ねる、ではなく、この人の為に死ぬのだ、という確信。
ゲオルグは今まで、それを全く信じていなかった。今まで様々な主に仕え、皆それぞれに素晴らしい主であったが、一度もその感覚を得たことはない。今までで一番理想的な主であったバルバロッサにもそれは得られなかった。
それ故、ゲオルグは自分の本当の主は自分だけだと考えていた。自分が死ぬときは自分の為に死ぬのだ。自分を護りきれなかったときに、死ぬのだ。
しかし。ユズに出会ったときにそれは訪れた。
(ああ、俺は)
こいつの為に死ぬのだ、と思った。そしてこいつ以外に、
(もう誰も愛せまい)
強烈な、感覚だった。無条件に愛してしまうことこそが、一生を捧げられる忠誠となり得るのか。いや、それは方向違いの考えだ。
まさか、まさか今更こんな感情を抱くとは。ただ、ただ。
(愛しい)
嘲笑ってしまう。十代の純情青年でもあるまいに。けれどそうではないからこそ、想いは欠片の疑いもなく本物だった。ありがちな勘違いというやつでは決してない。直感と、経験が物語っている。
(厄介だな)
ゲオルグは軽く息を吐いた。
ユズはゲオルグを心から信頼し、慕ってくれている。それは喜ばしいことだが、罪悪感を感じずにはいられなかった。
ただ女王騎士してユズの傍にいる、とはゲオルグには決して言えない。
消えてしまえば良いのに、と思わないこともないが、思い切れないのはその想いの深さを物語っていた。認めまい、と思って消えてくれるような代物ではない。ただ、見破られぬように。気づかれないように。そして行動に移してしまわぬようにと、決意を。
今は考えていてはいけない。ゲオルグは強引に頭から思考を追い出した。ただ寝ないで立っているだけでは不寝番にならないのだ。
今日、あの貴族たちはマリノの誘拐に失敗している。あれだけこっぴどくやられればさすがに今夜襲ってくることはないだろうと思うが、油断はできない。それに、ここに王子がいることを誰が嗅ぎつけているとも限らない。
ふと、階段を誰かが下ってくる気配がした。ユズだ。今まで考えていたことが伝わったわけでもないのに、ゲオルグは少しひやりとする。
ユズは戸口に立つゲオルグを見つけると、真っ直ぐに駆け寄ってきた。
「どうした?眠れないのか」
「うん…」
無理もない、と思った。一度にいろいろなことがありすぎた。
「ゲオルグはどうしたの?」
夜の闇の中でも、不思議なくらいに輝いている瑠璃の瞳で、ユズはゲオルグを見上げた。それはゲオルグにとって、絶対的な瞳。
「俺のことは気にするな。眠れなくても横になっておけ、身体が休まらないぞ」
「……うん」
ユズはするりと背を向けた。
もとが華奢であるだけにそうは見えないが、近頃随分と力強くなった。足取りからも、それは如実に受け取れる。そんなことを思いつつ、彼を見送る。階段に足をかけようとした、そのときに。
「?」
ユズは勢い良く振り向いた。
「……気になるよ」
「ユズ?」
何か、決意でもしたかのような顔で、ユズが言う。突然のことに、ゲオルグは少々戸惑った。
「気にするな、って言われても気になるよ……、僕……、ゲオルグが……、」
次に口に出される言葉が予想できた、と言えばそれは間違いなく自惚れだろう。そうして予想できたのにそれをかわす態度を瞬時に準備したのは間違いなく大人の狡さであろう。
「好き…」
「ははは、俺はまたフェリドに妬まれるな。この前もどっちが父だかわからん、とかなんとかと責められ……………………ユズ」
かわさせては、くれなかった。
ユズはどこまでも真摯な瞳でゲオルグを見つめている。それに抗えるだけの狡猾さを、ゲオルグは持ち合わせていなかった。幸いなことに。残念なことに。
「ユズ」
立ち尽くしたままゲオルグを見つめ続けるユズに、ゆっくりと近寄ってゆく。泣かせてしまうかもしれない、と思うと胸が痛んだ。
「僕は」
震えるのを押しとどめているのだろうことが伝わってくる。
「僕はゲオルグにも同じように思って欲しいとか、そんなことは考えてなくて…、僕を好きになって欲しいとか、もちろん嫌われるのは嫌だけど、そういうんじゃ、なくてっ…」
必死、であった。痛む。けれどユズも、痛みを感じている。
同じ想いでいてくれた、と手放しで喜べないことにゲオルグは気づいていた。この手は、取るべきではない。
「そういうんじゃなくてっ、ただ…、ただ言っておかないとどうにかなりそうで!…………好き…………」
ユズは一層真摯な瞳でゲオルグを見つめた。ゲオルグはその瑠璃に手が届く距離まで来て、見つめ返した。
手を、伸ばすべきではない。
ゲオルグが黙ったままでいた場合のユズの次の行動は手に取るように明らかだ。きっと、ごめん忘れて僕寝るよ、と微笑んで去っていくだろう。そして二度と。
二度と。
それでいい。──それでいい?
(違う)
違う。違う。
(俺の手は)
ずっと伸びていた。ずっとずっと、伸ばしていた。それを。その手を、
(ユズが取ってくれたのだ)
こんなにも。こんなにも。
「こんなにも簡単に」
「え?」
ユズの瞳が揺れた。
「こんなにも簡単に打ち砕いてしまうんだな、お前は」
硬いと思っていた決意を。
困惑しているユズに、ゲオルグはふ、と笑いかけた。いつものように頭を撫でて柔らかな銀の髪を、くしゃくしゃとかき回す。
「俺が、お前と同じ気持ちでいると言ったら、お前は信じるか?」
「ゲオルグ?」
「お前がまだ大人ではないからとか、王子だからとか、そういう…、同情めいた気持ちではないことを、信じてくれるか?」
「ゲオルグ…」
瑠璃が、一層揺れる。
「好きだ、ユズ」
次の瞬間、ユズは勢い良くゲオルグに抱きついてきた。ゲオルグの胸に顔を伏せ、身体を細かく震わせている。
やはり泣かせてしまった、と苦笑しつつ、ゲオルグはユズを深く抱きしめた。温かな、薄い。
ユズがゆっくりと顔を上げ、涙を滲ませたままの瞳でゲオルグを見る。どちらが動いたのかわからなかった。きっと同時だったのだろう。後で考えると不思議なほど躊躇いなく、吸い寄せられるように顔を寄せ、ゲオルグはユズの唇をそっと塞いだ。
もうとうに自分のものではなくなっていた全てを、もう一度奪われるような気持ちで。


  


ぎゃー、やってまったよ華夜さん!やってまったな、ゲオルグ!
マッハで脱走したいですがもうちょい続きます…。
華夜(06.06)
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