奪  ─ユズ編─


────奪われた。
直感的にそう思った。落雷だった。黒い空から、金の稲妻。それが頭上まっすぐに落ちた。出会った瞬間に。
目が、くらんだ。
何を奪われたのか。
それに気づくのはもう少し後のこと。





フェイタス河の水が、日の光にきらきらと微笑んでいる。珍しくもなんともない様子だが、今はこの上なく美しいものに思えた。
ファレナ女王の息子・ユズは、輝ける水面を眺めながらあの乾いたロードレイクを思った。目をそらしたくなるほどの惨状は、どうしたって忘れられそうにない。いや、忘れてはいけない。
ユズはそっと水面から視線を剥がした。忘れてはいけないことだが、常に考えていたら気が滅入るだけだ。けれど。ロードレイクのことを考えないようにしようと思ったら必然的にあのことに考えが向く。ロードレイクとは全くの畑違い、しかし同じように今の自分では出口が見出せない。
「王子、ソルファレナが見えてきましたよ」
いつの間にかどこを見るともなくぼんやりしていたユズは、リオンのその言葉で我に返った。護衛の少女が指差す先に王都の姿がはっきりと見える。
女王騎士見習いのリオンは、随分前からユズの護衛として常に傍にいる。護衛として優秀なのは言うまでもなく、人間的にも優れていて、女の子としても魅力的だ。ただ、まじめすぎる嫌いがあるけれど、それもまた彼女の長所だとユズは思っている。
「ようやく帰ってきたと言うか、帰ってきちまったと言うか、複雑な心境だねぇ」
腕を組んでそういうのは、女王の妹、つまりユズの叔母であるサイアリーズだ。気さくで美しく、いつも明るい彼女は、ユズのことを本当に大切に思ってくれている。ユズにとっても大切な、大好きな叔母だ。
「そうだな」
サイアリーズの言葉に答えた低い声に、ユズはどきりとした。
女王騎士であり、ユズの父・フェリドの親友でもある男。──ゲオルグ。
父が彼を連れてきたときの奇妙にして絶大な衝撃は、であったとき以来常に鮮やかにユズの胸のうちに留まっている。
相当な腕を持った剣士なのであろうことは、父が女王騎士に推薦したということからはもちろん、そのいでたちからもわかったし、大きな器の持ち主であるということも会話によって窺い知れた。すごい人だ、と思ったのだ。もちろん、今もずっとそう思っている。まだまだ知らないところがたくさんありそうな、奥が深い人物だ。だから、
(もっと知りたいんだよ)
三人と談笑しながら、ユズは自分の内に目を向ける。
もっと知りたい、という思いの根底に何があるか、わかりかけている気がするのだ。
(だって)
憧れというだけでは説明がつかなくなってきたのだ。一人でいるときに思い浮かべるのはあの黒い女王騎士の制服に包まれた長身の体躯と、更に黒い髪と、その下で輝く琥珀の瞳と、低く柔らかい声。
(尋常じゃない)
どうしたら、いいのだろう。こんな、こんな。
いつの間にかうつむいていたらしい。リオンが心配そうに顔を覗き込んでいるのに気づいて、ユズは何でもない大丈夫だよ、と微笑んでみせた。





「王子、ゲオルグ殿と一緒にいて何か感じませんでした?」
カイルの問いに、どきりとした。
ユズは太陽宮に戻った途端、父・フェリドの熱烈な歓迎を受け、母・アルシュタートと謁見し、今は妹・リムスレーアに会うべく彼女を探している途中だった。立ち寄った女王騎士の詰め所にもその姿はなく、他の場所に行こうかと思ったとき、カイルにそう問いかけられたのだ。
「どういうこと?」
まさか胸で渦巻いている思いをそのまま口に出すことはできず、ユズは問い返した。カイルはユズが幼い頃から王宮に仕えていた女王騎士で、随分といろいろなことを教わったし、いろいろなことを話した。…そう、特に父からは教われない、父とは話せないことを。歳は随分違うが、友人のような気分でいる。しかし気心が知れている分、気をつけていないと考えていることが容易に知れてしまう。
「んー、ゲオルグ殿ってなんというか、底がが知れないというか…。フェリド様はあんな凄い人どこから連れてきたのかなー?」
そういう意味か、とユズは納得した。確かにゲオルグは底が知れない。ロードレイクでも思ったが、彼の強さはまだまだあんなものではないだろう。それに、何を考えているかもまだよくわからない。例えば、
(僕のことどう思っているのか、とか)
好意を持ってくれているのはわかる。あの笑顔と、優しい言葉が無理矢理出されたものだとは思わない。けれどそれは友人の息子としてであって。
(……それ以上何を望むって言うんだろう?)
リムに会いに行かなきゃ、と笑顔で言ってカイルに背を向け、ユズはぐるぐると考えた。
ゲオルグが話してくれる異国の話は楽しい。ゲオルグが自分に笑いかけてくれるのが嬉しい。今のはいい手だった、と褒めてもらえたときは最高に嬉しい。大きな手で頭を撫でられるのも、ふざけて頬をつねられるのも。
とてもとても。
(好きだ)
ああ、そうか。
ユズは詰め所の扉の前でぴたりと足を止めた。リオンが戸惑ったように呼んだがユズは気づかない。
望むとか、望まないとかそういう問題じゃない。ゲオルグにどうして欲しいかではなくて、自分が。
好きなんだ。
(僕はゲオルグが、好きなんだ)
憧れとか、尊敬とか、そんな思いを全て抱え込んで。超越して。
(好き、なんだ)
わかりかけている、というのと、わかってしまった、というのは微妙な違いであるけれども天と地ほどの差がある。
気持ちを自覚した瞬間、ユズは晴れがましさと切なさに同時に襲われた。
彼を好きになれたことがとてもとても嬉しい。彼を好きになってしまったことがとてもとても切ない。
わからないままのほうが良かった想いなのかもしれない。けれどそれでも、
(僕はゲオルグが好きなんだ)
すぐ背後に立っているその男を振り返りたくて、でも今振り返ってしまったら何を口走るかわかったものではなくて、ユズはただ前を向いて詰め所の扉を見つめていた。
「兄上!兄上はおらぬか!」
そう長い時間突っ立っていたわけではないと思うが、勢い良く扉が開け放されてリムスレーアが飛び込んできた瞬間、百年止まっていた時間が動き出したかのように感じた。
「兄上!」
リムスレーアはユズの姿を見つけた途端、真っ直ぐに飛び込んできてユズにしがみついた。
好きで、好きで好きでたまらないのだ。
ユズは自分の腹に顔を埋めてくる妹に、にっこりと微笑みかけた。
もうとうに、自分のものではなくなっていた心で。




  


えらく微妙なところで切れましてすみませんー。ゲオルグ編に続きますー。
華夜(06.06)
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