ff 〜フォルティシモ〜


これが、戦と言うものか。
ここが、これから己の身を置く場所か。

おおおおおぉぉぉぉぉ…………

もう聞こえぬはずの戦場の唸り声は、生々しくユズの胸をかき乱し続けている。
指先はすぅ、と冷え、心臓はぐ、と熱を帯びた。
恐怖と、高揚。この表現は外れてはいないが的を射てもいない。この感覚を言葉で表すことは出来ない。少なくともユズは、その術を持たぬ。
けれど言葉で表せぬからこそ。
わかって欲しい人がいる。





(気持ち悪い……)
盛大な凱旋パレードを終え、ユズはサルムの屋敷に用意された自室へと下がっていた。リオンにも休むようにと言ってあるため、室内は完全に一人だ。
大きく、柔らかなベッドに顔を押し付けながら、ユズは先ほどの凱旋パレードを思い起こした。自分はなんと栄えぬ先頭を切っていたことだろう。それを決して恥には思わぬけれど。
当惑を、あえて隠そうとはしなかった。否、隠せなかったというほうが正しい。
この戦の勝利をただただ喜び誇ることは、どう逆立ちしてもユズには出来そうになかった。
舞う色とりどりの紙ふぶき、高らかに響くファンファーレ、笑顔華やかに歓声を上げる群衆……。美しいはずのその光景が、ユズの眼にはこの上なく滑稽なものに映った。これは虚像なのではないかと疑ってしまう。だってあまりにもかけ離れているのだ。あの戦場と。
(ドーナツだ)
ぽっかりと、穴が開いている。レインウォールの群衆がこんなにも歓喜しているというのに、彼らに取り巻かれているユズの表情は晴れやかとは言い難かった。凱旋パレードなのだから、勝利を手にした軍を率いた者は胸を張っているべきなのに。
とてもとても、
(気持ち悪い……)
晴れやかにはなれずとも、露骨な不快さは見せぬよう、何とか顔を上げて歩いた。けれども、ユズの目の前でサルムが朗々と演説を始めた瞬間、限界が訪れた。聞きたくないとは思っても、耳を塞ぐことも遮ることもできず、ユズはただその居た堪れない演説を聞いていた。知らず知らずのうちに顔が俯いていったのは、抗えぬ引力の所為。せめてもの抵抗とばかりに、瑠璃の瞳だけは伏せられず、レインウォールを見ていた。
(気持ち悪い……)
身体を縮めてやり過ごそうとしていたのだけれど、気持ち悪さは一向に去る気配を見せなかった。凱旋の様子を思い出してしまったためだろう、先ほどよりもひどくなった気さえする。
他のことを考えようと思っても、代わりに浮かんでくるのは戦場の光景ばかりで。目の前にあるのではなく、脳裏に焼き付けられた映像であるだけに眼を逸らすことは容易ではなかった。
これが、試練なのだ。
太陽宮に一人残されている妹・リムスレーアを救う為の。母・アルシュタートと父・フェリドの命を活かす為の。
一瞬にして手のひらから零れ落ちた全てを、取り戻す為の。
決して元通りにはならないと知っている。けれどそれならば元通りよりも良いようにできるかもしれない。これはユズが無理矢理にひねり出した、前向きな目標であった。…何とか進むために。何とか自分を支えるために。今にも折れてしまいそうだけれど。きっと大きな希望となる日が来るはずだから。
だから。
今こんなふうに潰れていてはいけないのだ。
「……っ」
わかっているのに。そう、思っているのに。
(呼びたい名前があるんだ…)
けれど本当に声に出したら止まらなくなってしまう。
「……ッ」
壊してしまうし、壊れてしまう。
わかっているのに。そう、思っているのに。
(呼びたい名前が、あるんだ…。叫びたいことがあるんだよ…)
すごく強く。
「ユズ」
「!?」
耳に飛び込んだ声に、ユズは跳ね起きた。一人だったはずの室内に、今は二人。
「ゲオルグ…」
強く呼びたいと思っていた名前は、ひどく弱々しくユズの口から発せられた。ゲオルグは扉のすぐ前で、仄かな微笑みを浮かべている。
「気付かなかった…」
「気付かれんように入ったからな」
ゲオルグは事も無げに言ってみせる。ユズはその様子に、言い知れない安堵を覚えた。彼がここにいる、というそれだけでもう、ユズの精神状態は天と地ほども違うのだと、彼はとうに自覚していた。
「リオンが不寝番をしていたのでな、休ませた。…随分苦労したが」
「そっか、ありがとう」
ユズは頷きながら言った。ユズはリオンに休むよう言ったはずなのだが、あの優秀な女王騎士見習いはやはり不寝番をするつもりだったのだ。彼女だって共に戦に出た。きっと疲れているはずなのに。
「そういうわけで、今夜は俺が不寝番だ。戸の前にいるから何かあったら呼べ」
ゲオルグが、背を向ける。
「ゲオルグっ!」
それは、勝手に口を突いて出た。明らかに必死な声。呼びたい、と思う気持ちが強すぎたのだろう。
「どうした?」
ゲオルグは、ゆっくりと振り向いた。その顔には、優しい微笑み。けれどユズには、その笑顔に隠されている懇願が読み取れた。
──望んで、くれるな。
きっと、彼はそう思っている。ユズが望み、願えば、ゲオルグは拒絶することが出来ない。
でも、でも。
「な、なんでもない…」
ユズも柔らかく微笑んだ……はずだった。気付けば身体はかたかたと音がしそうなほどに震えている。
「なんでもなくはなさそうだな。嘘はもっと上手につけ」
ゲオルグは苦笑した。軽いため息を吐きながら、懇願はあっさり諦めてしまったかのように。ユズは弱々しく微笑んだ。
「ごめ…でも、でも……」
口を開けば、唇までもが激しく震える。
(みっともない……)
情けなさでいっぱいになり、ユズが目を閉じた瞬間に、大きな影が一息でユズに近寄った。と、思うとすぐに。
ぐい、と抱きしめられた。
「ごめん…でも僕、ゲオルグに嘘はつけないよ…」
厚い胸に顔を押し付けながら、ユズは言った。彼を困らせてしまう。でも、止められない。
「ゲオルグ…、ゲオルグ……ッ!」
両腕を広い背中に回し、精一杯にしがみついた。ゲオルグの腕にも一層力が込められ、二人は更に近く寄り添う。じわり、と互いの体温が伝わり合うのを感じ、ユズはぞくぞくした何かが背を駆け上がってゆくのを感じた。
「すまんな…。一緒に戦に出れたら良かったんだが」
頭の上で響く声に滲む苦渋の色に、ユズはふるふると首を横に振った。違うのに。謝らなければいけないのはゲオルグではないのに。
「ごめん…ごめんね、ゲオルグ…」
ユズの声は、か細かった。
戦場の光景、演説の声、太陽宮での最後の夜、ロードレイク、太陽の紋章、ストームフィスト、家族の笑顔とぬくもり…………。
ぐちゃぐちゃと混ざり合って渦を作り、出口を見つけられぬままいつまでもぐるぐると巡ってかき乱す。
大声で泣き喚いてしまいたかった。王宮を出てから何度その激しい衝動に駆られ、必死の思いで踏みとどまってきたことか。だってきっと、リムスレーアも泣いていない。まだ負けたわけではないのだから泣くわけにはいかない。そう、強く言い聞かせて。
けれどもすぐに踏み外してしまいそうになるから。
「ごめんね…ゲオルクごめんね…」
踏みとどまれるように、どうか。しがみつかせて。
「どうしてお前が謝るんだ」
ゲオルグの声は、掠れていた。
深い深い苦悶が読み取れてユズの胸はきりきりと痛む。ユズの父母が命を落としたことが、一体どれほどの重圧を持って彼を責めているのだろう。きっとそれは想像できないほどの。それなのに、
(僕は更にゲオルグを苦しめるんだ……)
ユズはぎゅう、と両腕に力を込めた。どれだけ罪深いことかわからないわけではないのに。
離れられない、と思った。
「ゲオルグ…ごめんね…………お願い…………」
結局、身体の震えは止められぬまま、ユズは懇願した。ゲオルグはなだめるようにそんなユズの背を撫でる。
「ユズ」
その先を言わせまいとするような、柔らかな制止の響き。大丈夫だ、落ち着け、と優しく続く。ユズはゲオルグの胸に埋めた顔を激しく横に振った。
「……お願い」
拒絶しないで。
「何も考えたくないんだ。考えなくちゃいけないのはわかってる、そうでなくとも考えないことなんてできない!……でも今は何も考えたくないんだ……」
泣き言以外の何物でもなかった。呆れられるかもしれないとも思う。けれどゲオルグは低い声でああ、と優しく同意した。大きな手が、背を撫で続ける。
「何も考えられないようにして…。ゲオルグ、お願い…」
何万回でも叫びたいと思っていた言葉は、口にできなかった。
「僕を抱いて……」
すごく強く。
(大好き)
二人、寝台に倒れこんだ。

  


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