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夜はまだ明けていない。あと一時間もすれば、東の空はじんわりと明るみを帯びてくるだろうと思われたが、今はまだ重い闇が夜を主張している。
そんな暗い部屋の中、寝台の上に横たわる白銀はそれ自体が発光しているかのように光り輝いていた。美しい、というちっぽけな表現では形容できないほどに美しい。
ゲオルグはベッドの端に腰掛け、安らかな寝息をたてている姿をそっと見下ろした。その眼差しが柔らかいものであることを祈る。
愛しいと思う。苦い後悔よりも甘い愛情のほうが勝った。
なんと罪深いことだろう。
あの全てが凍りつきそうなほどに冷たい夜からまだどれほども経っていないというのに。
否、たとえ何年、何十年と経とうと、罪は消えることはない。
あの夜。
ルナスへ逃げ込んだ夜、太陽宮が襲われた夜、フェリドが死んだ夜、女王を殺した夜──────。
眼に、耳に、手に生々しく残る記憶に、ゲオルグは瞼を閉じた。こんなふうに、命を絶った感覚が忘れられずに張り付いているのは、初めて人を殺したとき以来だ。泣き叫びたいと強く思ったのも、きっと同じくらい昔のことだろう。そして、死んでしまいたいと思ったのは初めてだ。
父と母が死んだと知ったときのユズの顔を見たとき、ゲオルグは激しくそう思った。ここで、殺して欲しいと。
許されぬその願いを断ち切り、彼の為に生きることを誓いなおしたのはルナスで過ごした眠れぬ闇の中でだ。もうすでにユズに捧げたつもりでいた命を、少しでも捨てようと思った自分を戒めた。そして。
罰を受ける覚悟をした。罪を犯し続ける覚悟をした。

許されぬ罪を犯した罰は、許されぬ罪を犯し続けること。

『子供たちを頼みましたよ』
『お前にしか頼めぬのだ』
ファレナの頂点に立っていた女と、その隣にいた男の声がぐるぐると取り巻いて離れない。押し付けられた、とか背負わされた気など欠片もない。けれども、あのときの台詞をもう一度ぶつけたい気持ちだった。
それを俺にやれというのか、と。
あまりにも、重すぎて。
ぶつけたい相手はもういない。いなくなるのをこの目で見た。
(フェリド、お前は人選を誤ったよ)
他の誰かに頼むべきだったのだ。息子のことを思いやるならば。
(俺に託してはいけなかった)
それももう遅い。
ゲオルグはゆっくりと瞼を開いた。途端に飛び込んできた光の眩しさに眼を眇めたが、その光がはたして上り始めた朝日なのか、目の前の少年が発するものなのかは判別できなかった。
彼を愛さぬことなど、
(もうできない)
彼に求められて拒むことなど到底出来はしない。けれどそれは言い訳にしか思えなかった。
求めに応じたのは自分。いや、それ以前に。
抱きたいと思っていたのは、
(俺だ)
そう、抱きたいと思っていた。
すごく強く。
ユズはきっと、自分の求めに逆らえずに抱いたのだと思っていよう。それも間違いではない。しかし。
ゲオルグはずっと考えていたのだ。
この清らかな銀の王子を、いつ引きずり落としてやろうかと。
純粋な思いでゲオルグを慕う無垢な笑顔に柔らかく微笑み返しながら、ずっと考えていたのだ。
結局、自分で犯した罪。ユズの罪などどれだけあろうか。決して、欠片もありはしない。
(そして俺は許されまい)
むしろ許して欲しくなかった。
許されてしまったらもう、この罰は受けられない。
彼を、愛し続けるという、罪深くも甘美な罰を。
昨夜ユズは何も考えたくない、と言った。仕方のないことだと思う。ゲオルグですら、そう思ってしまう。
父母を失い、自分も命を狙われ王宮を追われ、妹は囚われ、取り戻そうと動き出せば祭り上げられて胸糞悪い戦の為に軍を率いることになる始末だ。
全てを放り出すことなどできないことを、ユズは良くわかっている。そして彼自身もそんな気はないだろう。けれども目の前の現実と、瞼の中の心境は一致することのないままであるのに違いない。
悲しんでいる暇はない。苦しんでいる暇もない。悲しくないわけがない。苦しくないわけがない。
どちらに従えばよいのか即座にわかってしまうユズだからこそ、そのズレに悩まされていた。
助けてやりたいと思う。しかしそう簡単に救えるものではないことをゲオルグは知っていた。それに、ユズは決して他人に救われたりはしない。彼は自力で星をつかむことが出来る手を持っている。
(俺は傍にいないほうがいい)
ユズを抱きしめた瞬間、彼は恍惚とした表情を見せた。これで救われた、とでも言いたげな、幸福の。
それは違うと、言いたかった。
ゲオルグはユズに星を取ってやることは出来ない。
しかしゲオルグが傍にいる限り、ユズはそう思い続けるだろう。ユズは強い。けれどそれゆえに唯一の頼りどころを常に隣において『彼が傍にいれば僕は救われる』と思ってしまうかもしれない。その幻は、捨てさせなければならない。ユズに、救いはいらない。
星を取ってやれぬのなら、踏み台になろう。そうやって使ってくれたら良い。
愛して、いるから。
罰として。本能で。
ゲオルグはそっと、寝台の上のユズから眼を逸らした。こうして眺め続けていることすら、罪深く感じる。
薄明かりの中、ユズは安らかに寝息をたてている。その夜着が乱れていないのを確認して、ゲオルグはゆっくりと寝台を離れた。優秀すぎるほど優秀な女王騎士見習いはそろそろ起き出すだろう。
足音は一切出さずに、ゲオルグは戸口へ向かった。ユズが目を覚ましてゲオルグの姿がないのを認めたら、きっと彼はひどく悲しい思いをするであろうと思われたが、目を覚ますまで傍にいてやることはできない。
それにきっと、傍にいた方が悲しい思いをするだろう。
「ゲオルグ…」
ドアノブに手を伸ばそうとしたとき、か細い声がゲオルグを呼んだ。ゲオルグは慌てて振り返り、同時に目を覆いたくなった。
ユズは眠ったまま、ゲオルグの名前を呼んでいた。──何かを求めるように、片手を差し出して。
「っ……」
駆け寄って、その手を握り締めてやりたいと思った。けれども。
ゲオルグは無理矢理、ユズから視線を引き剥がして背を向けた。静かに扉を開き、素早く身を滑らせる。退出するという動作にこれほどの決意を要したことはおそらくない。
「愛している…」
搾り出すようにつぶやいて、ゲオルグは唇を噛んだ。
同じ台詞を、抱いているときに言ってやりたかった。
すごく、強く。
あの手に、全てが戻ってくるよう。



  


……このゲオルグ、ウザくありません?(コラ)王子は凛々しさと儚さのバランスがポイントなのに見事に失敗している気がする…!
二人の初夜はこんな感じだろうということで。えー、直接的な表現は今回避けましたが次回はエロにします(え)
ご拝読ありがとうございました!
華夜(06.08)

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