──6


ノックの音に、ルックは少々身構えた。
「誰?何の用?」
「えーっと…」
敵対心剥き出しで答えれば、扉の向こう、戸惑ったような声がした。それが彼のものではないことに気付いて、ルックは警戒しつつも扉を開いた。姿を見せたのはフッチだった。皿がいくつか乗った盆を手にしている。
「えっと…、レオナさんに持ってってくれって頼まれたからさ。たぶん今日はまだ何も食べていないだろうから、って」
「……あ、そ。悪いけどそのまま持ち帰ってくれる?」
「え、食べないの?」
ルックは何も言わずに後ろを向いた。誰かと話すのは煩わしい。普段から苦手としていることであるのに、今なら、なおさらだ。
「ねぇ…」
困惑気味に、けれどどこか気遣うような声が背を追う。ルックは苛々と言った。
「いらない」
「……わかった。……ルック」
「何さ、早く帰ってよ」
「……うん」
何か言いたげだったけれども、フッチは結局何も言わずに立ち去った。彼自身、何を言っていいかわからなかったのかもしれない。ただ、何か言わなければならないと彼に思わせてしまうほどに、ルックは精神的な乱れを表に出してしまっているということだ。
ルックはそっと、唇を噛んだ。それは自分も同じだ。何か言わなければならない。けれど何を言っていいかわからない。
何をしたらいいかわからない。何も出来ないとわかっている。
腹が立ったけれどぶつけられず、やるせないけれど泣き出せない。ただただ内に溜まって苦しくなるばかりで。
「っ……」
呼吸さえ、上手くできない。
耐えかねて胸元をぐ、とつかんだそのとき、再びノックの音がした。追い返されたフッチがレオナに二重に追い返されたのだろうか。
「まだ何か用?食事はいらないって言っただろ」
音もなく、扉が開いて、その声はクリアにルックの耳に届いた。
「食事よりも、大切な用があるんだ」
「っ!」
がばり、と振り返ると。柘榴の瞳の少年が、強烈な存在感で立っていた。
「なんで…、勝手に入ってくるのさ」
ルックの声は、震えていた。顔はおそらく、強張っている。
「何か用、って言ったから入ってもいいのかと思って」
カリムの声は、柔らかかった。しかし微笑みは、弱々しく感じられた。
「入っていいと言った覚えはないよ」
「うん」
ルックとカリムは、命がけで視線を合わせていた。ともすれば吸い込まれそうだった。ともすれば押しつぶされそうだった。まるごと、持ってゆかれそうだった。いや、もう本当はとっくに。
「君はっ…、いつも勝手なんだよ!」
「うん」
「我儘で身勝手で無神経でっ…、いつでも一人で何でも…!人の気持ちも考えてよね!」
何を言っているのだろう、と頭の隅で思ったけれども、言い出したら止まらなくなった。ルックは依然として苦しいままの胸を抱え、震える声で吐露してゆく。カリムの瞳を見たまま。殺されそうな気持ちで。
「なんでっ…、なんで!なんでこんなことしたのさ!」
自分でも驚くほどの大きな声で、ルックは叫んだ。そう、まさに叫んだ。自分の瞳が揺らぐのを感じた。彼の瞳は、揺らがなかった。
「……ルックの傍にいたかったからだよ」
冷静に、穏やかに、彼は言った。いや、もしかしたら本当は冷静を装っているのかもしれない。本当は。本当は彼も同じくらい苦しいのかもしれない。
だけど、そんなことは知らない。そんな気遣いはしてやらない。身勝手?どっちが。
「それだけの為に!?ふざけるのもいい加減にしてよね!!自分が何をしたかわかってる!?」
「わかってるつもりだよ。僕とソウルイーターは一つになった。もう僕が死なない限り、外すことはできない」
「そういうことを訊いてるんじゃない。それが、真の紋章と一つになることがどういうことだか知ってるわけ!?」
全く取り乱すことなく言葉を紡ぐカリムとは対照的に、ルックは激した声で叫ぶように言葉を投げつけた。どうしたいのかわからないままに。こんなことを言って彼を傷つけたいのだろうか。打ちのめしたいのだろうか。わからない。けれど言わずにいられなくて。
「……知ってるよ……」
彼の瞳が少しだけ、翳りを見せた。
「知ってる!?へえ!?知ってるわけ!知っててそういうことしたわけ!馬鹿じゃないの!?何考えてんのさ!!」
きっと血液は今逆流していると思われた。嘘でも、知らないと言ってくれた方が良かったのに。なんでこんなに簡単に。一歩間違えば彼は。
「死んでてもおかしくなかったのに!」
はっ、とルックは自分の口を押さえた。
(あぁ)
ルックは睨みつけるように視線を合わせていた柘榴の瞳から逃れた。泣きそうになって両手で顔を覆う。
誰かの死を悼むことなど、したくないと思っていた。ずっとそう思っていた。けれど今彼が死んだら?果たして自分はその死を嘆かずにいられるだろうか。彼が今死ぬと言ったら?果たして自分はそれ止めずに見ていられるだろうか。
死を悼むこと──、生きていて欲しかったと思うこと。
ルックは確かに、カリムに生きていて欲しいと思っていた。今、カリムが生きていて嬉しいと思った──。
「ルック」
優しく名を呼びながら、カリムがゆっくり近づいてくるのを感じた。
「ルック」
ルックは答えなかった。口を開けばまた叫んでしまいそうだった。叫んでしまえば今度は泣いてしまいそうだった。
「ルック」
彼の手が、顔を覆っているルックの手に触れた。彼は促すようにそっとルックの手を顔から外し、覗き込むように視線を合わせてくる。
「もう戻れないんだよ。決して。堕ちてしまったらもう…、どこへもゆけない…抜け出せない…」
半ば独り言のように、ルックはカリムに語りかけた。カリムは穏やかにゆっくりと頷いた。至近距離にある瞳は相変わらず煌々と力強い。
「戻ろうとなんて考えてないよ。…上は見ない。前を、見るんだ」
カリムは少しだけ、微笑んだ。悲しげでも、自嘲でもない、美しい微笑だった。
「堕ちたところで羽ばたけば良い。堕ちたところを、駆ければ良いよ」
「っ、そうやって…!!君はそうやっていつも……ッ!!」
簡単に自分なりの答えで歩みだしてしまうのだ。茨の道を、遊歩道のように。たとえどれだけ苦しいとわかっていたとしても。自分が苦しむことになど、配慮してはやらないのだ。
「ルック……、苦しませてるってわかってるけど」
カリムが囁く。ルックはもう、思考が追いついていかない。
(やられてしまったんだ、きっと)
この牙に。
「今回は謝らない」
カリムは強く、ルックを抱きしめた。


  


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送