──5


会いたくて、会いたくて。ただそれだけで。
それだけの為に。





不思議な感覚だった。確かに今、何か大きな力が流れ込んだのだ。けれど同時に、何か大きなものが出て行ったような気もする。自分に欠けていたものが与えられ、余分だったものが取り去られたようだ。激流の中に飲み込まれつつも、それはひどく爽やかだった。
けれど目の前に佇む彼はきっと違うことを感じているのだろうと思った。激流にかき乱され、大きな衝撃にさらされているのだろう。その衝撃を与えているのは、
(僕だ)
本当は、すぐにでも駆け寄って抱きしめたかった。けれどそれが許されないと肌で感じていた。抱きしめた途端、彼は壊れてしまうような気がしてならなかった。壊してしまいそうで、恐ろしかった。
彼を喰らってしまうかもしれない、という恐怖はもう抱かずに済んでいるはずなのに。
カリムはぼんやりとグラスを眺めた。氷はとうに溶けきってしまい、酒は水っぽくなって飲めたものではない。
今朝、カリムは同盟軍主・トリイに連れられ、その本拠地にやってきていた。ビクトールやフリックなど、懐かしい面々に再会し、ビクトールによって半ば当然のように酒場へ連れ出されてしまった。軍主が許可を出した上に一緒になってやってきたものだから、真昼間の酒盛りは実に盛大に執り行われた。とにかく飲むわ飲むわ飲ませるわ。なんで酒盛りになっているのかわからないまま参加しているものもいて、ひどい騒ぎになっていた。カリムは首謀者の相変わらずさに苦笑した。無事でいるだろうとは思っていたが、こうまで元気かと思うと少しでも心配した自分がバカバカしく思えてきてしまう。
ようやく日が暮れだした今、酒場には酔いつぶれた者がごろごろ転がっていた。ぐるり、と見回しながら、死屍累々だ、と苦笑する。
カリムがこうした酒盛りに最後まで付き合うことはほとんどない。いつも途中でこっそり抜け出していた。しかし今回はそうはしなかった。否、できなかった。
抜け出した先に、彼は待っていてくれないから。
(…女々しいな)
甘えていた、と改めて思う。抱きしめて、縋って。君しかいないと、勝手なことばかり。結局は同情を引いて哀れんでもらっていただけ。優しい彼を利用しただけ。
吐き気がした。
その上さらに、ルックに苦痛を味わわせようというのか。
「っ……」
カリムはきつく瞼を閉じた。そんなことはしたくない。してはいけない。
後悔してしまいそうだった。ソウルイーターと一つになったことを。後悔したくなかった。だって本当に、彼の傍にいたかった。けれどそれはただのエゴ。ソウルイーターがルックを喰らうことはもうないとしても、そうなったことで更にルックが苦しむことになるのだったら。
『迷ってるのか、珍しく?』
カリムはふと、親友の言葉を思い出した。これは、どんなときに言ったのだったか。からかうような口調と声まで、はっきり思い出せるというのに。
「迷ってるよ……」
傍にいたいと願う想いのまま抱きしめるのが良いのだろうか。それとも黙って姿を消すのが良いのだろうか。ここまで来ておきながら今更そんなことを考えている。
ため息を吐きそうになったそのとき、背後に誰かが近づいてくるのに気付いた。
「カリムさん、隣いいですか?」
トリイだった。彼も随分と飲んでいたようだったが、顔が多少上気している程度で、ふらふらに酔っているようには見えない。
「もちろん」
「ありがとうございます。はー、疲れた」
橙色の液体の入ったグラスをテーブルに置いて、トリイはカリムのすぐ隣に腰を下ろした。
「騒ぎすぎた?」
「いえ、そうじゃなくて…、さっきナナミを担いできたから」
「あぁ……」
ナナミ、とはトリイの姉だという元気のいい娘のことだろう。確か真っ先に酔いつぶれた中の一人ではなかっただろうか。
「カリムさん、少しお話しても?」
「うん、良いよ」
カリムは笑顔で承諾した。彼としても、トリイとはいろいろと話したいと思っていたのである。トリイが、カリムさんにも貰ってきましょうか、とオレンジジュースを勧めるのを断ってカリムは尋ねた。
「随分飲んでたけど、大丈夫?」
「はい。なんか、酔いにくいみたいなんです、僕。フリックさんが、『お前ザルだな』って。その後に『あいつには負けるけどな』とも言ってましたけど」
あいつ、とは間違いなくカリムのことだろう。面白そうに言うフリックの様子が容易に想像できて、カリムはくすくすと笑った。
「フリックとビクトールはどうせいろいろくだらないこと話したんだろうな、僕について」
「くだらなくなんかないですよー!べた褒めでしたよ?」
「軍主のくせに真っ先に敵に突っ込んでいくバカだ、とか、敵も味方もまとめて騙す詐欺師だ、とか言ってなかった?」
「確かに言ってましたけど……」
「面と向かって何度も言われたからね」
そう言いつつも、カリムの脳裏に浮かんでいるのはフリックやビクトールの言葉ではなかった。いつもサイアク、という言葉を添えて呆れたように不機嫌に浴びせられた言葉だ。
「でも、褒め言葉にしか聞こえませんでしたよ?」
トリイはお世辞でもなんでもなく本気でそう思っているらしかった。
「僕はそれを聞くたびにカリムさんに憧れたんです。似ている、って言われることもあったから余計に。…でも、目の前にしてそれは違うって思いました」
「違う、って…、似ているってこと?」
「はい。僕がカリムさんに似てるなんて、とんでもないです。僕は…、あなたの半分も強くない……」
「そうだね、似てないよ」
次第に俯き加減になっていくトリイに、カリムははっきりと言った。はっと顔を上げたトリイは、少々傷ついたような目でカリムを見た。表情が言葉と矛盾するのは珍しいことではないし、自然なことだ。きっとどちらも本心だろう。
「似てなくて当然だ。僕と君は、違う人間なんだからね」
カリムは微笑んだ。
「フリックやビクトールは、リーダーが君じゃなくて僕であれば良かったと言った?」
「いいえ!」
「じゃ、特に気にしなくて良いよ。その、僕に似ている、っていう無責任な発言は」
「え…?」
「僕に出来て君には出来ないことっていうのは、確かにたくさんあると思う。でも、君に出来て僕には出来ないこともたくさんあるよ。絶対ね。……月並みな言い方だけど。同盟軍には、トリイがいなきゃ駄目だと思うよ」
カリムは微笑んだ。トリイの顔も、ゆっくりと綻んでゆく。
「はい」
そしてしっかりと、頷いた。この子は大丈夫だ、とカリムは思った。苦しみも迷いも味わって、それを超えてゆける。
「そうだ。僕、どうしてもカリムさんに確かめたいことがあったんです!」
「確かめたいこと?」
少々身を乗り出して勢い良く言ったトリイに、カリムは首を傾げた。
「紅の牙、ってカリムさんのことですよねっ?」
「は?紅の牙…?」





(ルックが翠の翼で僕が紅の牙か…)
先程トリイが話してくれた内容を思い出して、カリムはそっと笑った。そのトリイは今隣ですやすやと眠っている。彼がオレンジジュースだと思って飲んでいたものは実はリキュール入りだったらしい。
フリックもまた恥ずかしい異名をつけてくれたものだとカリムは思った。彼らしいといえば彼らしい。青雷のフリックは実は結構ロマンチストなのだ。本人に言えば渋い顔で否定するだろうが。
一緒に戦いにくい者、というのはあまりいなかったと思うが、息が合いやすかった者、というのはいた。カリムにとってその筆頭は、間違いなくルックだった。欲しいサポートを欲しいときにくれ、ルックがどういう動きをカリムに望んでいるのかも自然にわかった。
(ルック……)
『それって、迷ったところで解決するのか?もう答え出てるくせにわざわざ迷ってねぇか?』
またも不意に降ってきた親友の問いかけに、カリムは苦笑した。今更迷って捨てられるものならば、最初からここまでやっていないだろう。
もう、駄目だ。
そう、答えなんてとうに出ている。あの日──三年前、ルックと別れたあの日に。
今ここで、ルックがまた苦しむかもしれないと思っても、もう自分を止められそうになかった。三年間、自分を動かし、生かしてきた想いを捨てることなど出来そうになかった。
傍に、いたい。
苦しみも迷いも味わった。それを超えてゆこう。
(ルック……)
ただ一つ、その名前だけを呼びながら、カリムは静かに酒場を後にした。



  





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