──4


ざわっ……。
一迅の風が、通り抜けた。
二人の間を。二人の、中を。
翡翠の瞳はさあっ、と深くなり、柘榴の瞳はこおっ、と透きとおった。
それは翼が牙を得た瞬間。牙が翼を得た瞬間。
それは翼が牙によってもがれた瞬間。牙が翼によって折られた瞬間。
二人はそのとき何を見たのか。二人の周りには何が見えたのか。





その姿を見た瞬間、何か大切なものを奪われた気がした。けれど同時に、とてつもない力を手に入れた気がした。
出てゆくもの、湧き上がるもの、入ってくるもの。
どれもが全て巨大で。
自然に起こるこの強大な流動に、ルックはなすすべもなく立ち尽くしていた。
そうしてどれほどの時間を過ごしたかわからない。時間の感覚を失っていると気づいたと同時に、自分の思考が戻ってくる。
(なんで)
なんでなんでなんでなんでどうして。
どうしてここにいるの。
どうして、
(こんなことに)
驚愕を、隠せなかった。
彼が目の前にいること。けれどそれ以上に。
(ソウルイーターが)
強烈な存在感。横暴な共鳴。それらは相変わらずだというのに、まるで違っている。こんなにも自己主張をしておきながら、まるでここに存在しないものとして振舞っている。それはいっそ、図々しいほどに。
「っ……」
声が、出なくなったのではないかと思った。気づいて、愕然とした。
(なんてことを)
なんてことをしたんだ、この男は。
違った。違うんだ、この存在感も共鳴も自己主張も、
(ソウルイーターじゃない)
それは全部、彼自身のもの。ソウルイーターではなく、けれどカリムだけのものでもなく、『ソウルイーターを宿したカリム』のもの。
見たくない。でも、目を離せない。逸らすなんて、出来ない。
だって彼をこんな姿にしたのは。
(僕だ)





棍を振るうカリムの姿は、相変わらず鮮やかだった。いや、以前よりも磨きがかかった。舞うような動作はしかし一切の無駄がない。俊敏で猛々しく、しなやかで美しかった。高貴な獣。そう形容するのがふさわしいであろう。
彼の腕が上がったのは、一人で各地を放浪していたのだから当然とも言えたが、常に鍛錬を欠かさぬ彼のこと、おそらく腕を上げるために更なる努力をしたに違いなかった。
まさに、血の滲むような。
「久しぶり、ルック」
「なんだ、生きてたの」
これが、三年振りに交わした会話のほぼ全てである。ルックは自分でも驚くほどに動揺を見せず、カリムは憎たらしいまでに完璧に微笑んだ。
トリイは二人が知り合いであったことに驚き、やがて何かに気付いたようにはっ、とした。それから何か言いたげにルックを見たが、結局何も言わなかった。けれども、カリムの戦いぶりを見たとき、彼に見惚れていた目で今度は確信を持った顔をしてルックを見た。気付かぬふりを、しておいた。
苦痛極まりない数日間だった、とルックはぼんやりと天井を眺めながら思った。
グレッグミンスターから帰ってくるまで、ルックはカリムを極力避けた。全身で、拒絶した。カリムがそれをわからぬはずがなく、必要以上に近づいてこようとはしなかった。ただ単に、話をするには不適当な場であると判断しただけかもしれないが。
なんということを。なんということを。
なんということをさせてしまったのだろう。
絶望と言う言葉は、こんなときの為にあるのだろうか。ルックはいつの間にか手が細かく震えていることに気が付いた。ぎゅっ、と握り締める。

──カリムは、ソウルイーターと一つになっていた──

己の魂を半分喰らわせ、紋章と一体化してしまったのだ。それは──、ルックと同じ状態。
「っ…………!」
同じ道に、堕ちてしまった。
激しい後悔がルックを襲う。後悔。それは実にルックに似つかわしくない言葉だ。そして彼にも。
あのとき、どうして予想できなかった?彼が『強くなる』と言って別れたときに?『ルックの傍にいる為に』、彼はそう言った。予想できたはずだ、彼がこうする可能性を。まさか無理だと思っていたのか。決めたことはどれだけかかろうと自分がどうなろうとやり遂げる人間であることを知っていたのに。
結果、殺戮の道に身を落とすことを回避したカリムは、代わりに出口のない未来に身を落としてしまった。一度堕ちてしまえば深いも浅いもない。出口がなければもう入り口も見えない。
飛び立とうと翼を広げても、突き破ろうと牙を剥いても、何の役にも立ちはしない。
カリムはもう、ルックを喰ってしまうかもしれないという恐怖を抱くことはないだろう。
ルックはもう、ソウルイーターに喰われることはないだろう。
泣き叫びたくなった。もうどうにもならないのか。──ならない。わかっている。きっとカリムは後悔などしていない。わかっているけれど。
「出会わなければ、良かったんだよ……」
柄にもない、後悔。ルックはカリムのように、自分の行動にどこまでも責任と自信が持てるからしなかったのではない。それが行き着く先がわかっているからしなかったのに。
「生まれなければ、良かったんだよ……」
泣き叫べないのはわかっている。だって本当はそんな激した気分でいるわけじゃない。だけどそういうことにしておかなければ。
湧き上がってきてしまうから。

彼の傍にいられるという、歓喜が。


  


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