──4


愚かなことだと、誰よりも自分がよく知っている。
こんなことをしたって、ユズが彼のものになるわけではない。けれど、少なくとも苦しみから一つ、彼は解放されるだろう。
(あ、それはオレも同じなのか)
解放されたいと願ったことなどないけれど。
苦しい状況を幸福と感じていた部分があることは否めない。
(あっぶねぇなぁオレ)
そんな趣向はなかったはずだけれど、と苦笑する、鏡の中の自分を見た。
いつもより丁寧に、帯を締める。鮮やかな、紅と黒が網膜に焼きつく。
自分でもよく似ていると思っていたこの面差しは、影武者という役を得てからはなぜかそう思えなくなった。
誰かになろうとすることで、自分というものを意識するようになった……などと尤もらしいことを言うつもりはない。だが、おそらくはそれが真実だろう。
……自分に対しても、彼に対しても。
ロイは、彼の前で徹底的にユズのふりをすることで逆に「ロイ」の存在を意識させてきたのだ。狙い通りには、なった。歪んだ形ではあるが、ロイはある意味で彼を手に入れることができたと思っている。
けれど、もう。
手放すことにする。
(あー、そっか。手に入れない方が幸福ってこともあんだな)
醜かろうと何だろうと、手に入らないとわかってても、無理矢理にでも手に入れてみようって、なぜ思わないのだろう。彼の行動に対してロイはそう思っていたのだけれど。
(貧乏人のサガってやつか)
何もかも手に入れたがるのは。
「さて」
鏡の中の自分に一つ頷いて、ロイは動き出す。三節棍を手に取ろうとして思い直し、ナイフを身につけた。さすがに間違われることはないだろうが、万が一が起こってはならない。
「行くか」
辿り着く場所が果たしてあるのかどうか、わからないけれど。









「王子さん」
ロイは、佇むしなやかな背中に声をかけた。万人から美しさを讃えられるユズは、実は正面よりも後から眺める方がずっと美しいとロイはこっそり思っている。
「あ、ロイ」
にっこり微笑んで振り向くユズの顔が、いつもにも増して眩しい。
「ごめんな、呼び出したりして」
「ううん。待ち合わせ、って僕にとっては結構レアなんだ、嬉しいよ。っていうか、あれ?なんで僕のカッコしてるの?」
「ま、あとで分かるさ。ところで……リオン、ごねなかったか?」
「うーん、ちょっとはね……。でもまぁ城内だし」
ちょっと相談があるから二人だけで会えないか、とユズに尋ねたのはつい昨日のことだった。やることは山積みで忙しく、その上護衛を剥がすことが難しい身でありながらユズは迷いなく承諾してくれた。その行為に自分への信頼を感じ取って、ロイの胸は罪悪感に痛んだ。
けれど。
「ごめんな」
「え?」
「あ、いや、時間割かせて悪ぃな、って」
思いのほか暗い声が出てしまい、ロイはそんな自分に苦笑しながら言葉を接いだ。謝罪したとことで許されるわけではないとわかっているのに言葉になってしまうのは、たぶん一種の条件反射だからだ。失礼にもほどがある。
「時間を割くのなんか当然だよ。だってロイの一生に関わる話なんだろう?」
「え、なんで……」
「そんな顔してるから」
あまりにもあっさりと言われ、ロイは絶句した。バレた、はずはない。誰にも話していないのだから。
「ねぇ、ロイ。僕は本当にロイのことが好きなんだよ。大切な友だちだって、思ってるんだ」
『好き』だとか『大切』だとか『友だち』だとか。そんな、口にするのも恥ずかしいような言葉を何気なく口にしてサムくならないなんてそれはもう才能だ、とかバカみたいなことを頭の端で考えながら、ロイは立ち尽くした。
「だから、僕にできることならなんだってしたいんだ。本当に。罪悪感とか、そんなもの感じなくて良いんだからね」
「あのさ、王子さん……」
「そんな顔、してるから」
(っとに……、かなわねぇなぁ)
これからロイがしようとしていることを何一つ知らないはずなのに、こんな聡いことを言うのだ。それで事実、ロイの気持ちが軽くなってゆくのだからたまらない。
「そんな顔って、どんなかおー?」
「傷つける前に自分が傷ついちゃってるようなかおー」
(うっわ、ビンゴ)
可愛らしく小首を傾げて茶化してやれば、倍以上の可愛らしさでさくっと痛いことを言われた。
「ホントたまんねぇよなぁ……。決意が鈍りそうじゃん」
ガシガシ、と頭をかいて、苦笑するとユズが少し、微笑みを翳らせた。ちょっとだけ背後を振り向いて様子を確かめてから、ロイは口を開いた。
「あのさ、王子さん」
「うん」
「オレは、泥棒以外にも結構いろいろ、人に言えないようなことしてきたんだよな、これまで」
「うん」
生真面目に頷くユズの顔から少し視線を外して、ロイは語るともなしに語った。この独白じみた語りの終着点は、話している本人すらわからない。
「だから、なんつーか、こう、正常じゃない関係とか、そういうのも受け入れられちゃうんだけど」
「うん」
「だけど、本当はさ、受け入れちゃいけないものなんだよな、そういうのって。拒絶しなきゃいけないものなんだ、たぶん」
「ロイ」
「悪い、もうちょっとだから聞いてくれるか?」
「……うん」
何か言いかけたユズを、ロイは押しとどめた。ユズが、ロイの心を揺さぶる決定的な台詞を口にしそうな気がしたから。それを聞いてしまったら、きっとこの先の行動は起こせなくなってしまうだろうから。
もう、ちょっとだ。
「だからさ、あいつ、拒絶すると思ってたのに、受け入れちゃったから、ダメだ、このままじゃ、って思ったんだ。しかも気持ちでは拒絶してんのに状況的には受け入れてる、とかさ、苦しいだろ絶対」
「ロイ」
「何言ってるかわかんないな、オレ」
背後から足音が聞こえて、ロイの鼓動が早くなった。来た、と確信を持てる。振り返らずとも。
「だから、終わらせるんだ」
言って、ロイは身につけてきたナイフを取り出した。
「ロイ?」
足音の主が気色ばむのが、気配で分かる。
「ごめんな、王子さん」

真っ直ぐな背中を持つ、この美しい王子を傷つけたなら。
今度こそ、彼は自分を殺してくれるだろう。

「ごめんな」
もう一度言ってロイはナイフを振り上げた。
そして勢いよく振り下した瞬間に。





「やめろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」





ザクリ、と音を立て、背中に一筋の熱さが走った。






「ロイ!!!!!!!!!!!!!ロイ!!!!!!!!!!」
目に飛び込んだ、金色の髪が傾いで、滲んでゆく。
傾いでいるのは自分の体で、滲んでいるのは自分の血だと認識する余裕などなく、それなのにロイの顔は自然と笑みを浮かべた。
(あぁ、殺して、くれたか……)
これでもう、大丈夫だ。
だけど、なぜ。

(なんでオレの名前を呼んでんだ……?)





  


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