──3

絡まった糸は。
解いてしまうべきか、切ってしまうべきか、更に絡めてしまうべきか。







湖上の城が寝静まる頃。
訪問を受けるにはいささか遅すぎる時間にドアがノックされ、心臓がはねた。いい加減慣れろよ、と思いつつ瞑目する。
扉を開かなくても、その向こうに誰がいるかわかっている。だから迷う。
扉だろうが箱だろうが、開くことを躊躇わせる要素が少しでもあるのならば、それは開かないでおくのが正解だ。開いてしまったらロクな目に遭わないことは明白だ。指を針で刺して眠りについてしまったり、希望しか残らなかったり。
そんな例が腐るほどあるのに。
結局。
扉の向こうにいるのが悪魔だと知っていてもなお。
(オレは開けてしまうんだ)
「こんばんは、カイル」
世にも美しく、世にも恐ろしい悪魔。
白いシーツに身を包んだその姿を、カイルは無言で部屋に入れた。
「どうしたんだロイ。この前寝たばかりだろ」
「カイル……?」
「やめろ。その声を出すな。帰れ」
そして、扉を開けたくせにそんなことを言うのだ。
「一緒にいちゃダメ?」
「やめろ」
ここでいつも彼はしなやかに身体を寄せてきて、王子の声音で「お願い」と言う。そしてカイルはそれを突き放せずに細い腰をかき抱く。
のに。
「わかった、帰る……」
ごくたまに、そんなことを言って本当に背を向けるのだ。
腕が伸びるのは、反射的だとしか思えない。気付いたらむき出しの肩をつかみ手首を引いて寝台の上に彼を横たえさせていた。
「っ…………」
ここでいっそ、してやったりとでも言うように嘲笑ってくれたら良いのに。
「カイル……」
彼は本当に嬉しそうに微笑むから。
(なンだよ、それッ)

「王子」

と、呼ぶしかなくなる。
(全部演技のくせに!!!)

「っ!」
昨夜のことを思い出して、カイルは息をつめた。
自分の大人気なさに嫌気が差して鬱屈してくる気持ちと、大人気なかろうとなんだろうと関係なく怒りと苛立ちをふつふつと生み出し続ける自分と。
カイルの胸の内、お互いに反発しあっているが、そのどちらが勝とうとも結局、明るい気分にはなれない。
(もう何度目だっけなー)
数える気もないくせに、カイルはぼんやりそんなことを思った。
真昼間の酒場ほど、不健康そうな雰囲気の場所はない。明るさが重たく感じられ、ベタついた空気が纏わりついてくる。カイルはカウンターの隅で、その雰囲気と同化していた。
彼と一晩過ごすたびに、夜にカイルは何か大切なものをひどく捻じ曲げている気がしてならない。
(と、いうかー…)
もともとこれ以上はないというくらい捻じ曲がっていたはずなのだ。それがさらに捻じ曲がったのならば、真っ直ぐになってもよさそうなものなのに。
(上手くいかないよなー、……って今更だけど)
どうしてなのだろうか。
彼から、あの場から、一たび離れてしまえば、こうやって冷静な思考が正常に働くというのに、どうしてあの事態を目の前にするとあんなにも前後不覚に陥ってしまうのだろうか。全然、余裕でなどいられなくなるのはどうしてなのだろうか。
(カッコ悪いなー、オレ)
何やってんだか。何がしたいんだか。……鬱々とする。
はーっ、と一つ、特大のため息を吐いてカイルはカウンターを離れる。何か訊きたそうに瞳を輝かせているリンファに有無を言わせぬ笑顔を向けて手を振り、酒場を後にした。
誰に会いに行こうかなー、なんて考えながらぶらぶら歩く。一人はダメだ。考えてしまうから。しかも一番考えなくてはならないことはことごとく、器用に避けて。そんなふうにして行われる思考に、出口などない。
ループ。
(そもそも、抜け出す気があるのかなー、オレ)
ふと思いついてしまって、歩調が乱れた。……ダメだ。なんとか歩き続けて頭を一つ、ふるりと振る。これも避けなければ。──キリがない。
そう、ループ。
終わらせなければならないことはわかっている。姿かたちが似ているというだけの理由で、決して愛されることがないとわかっている想い人の代わりに抱く。代わりだろうが何だろうが、性的欲求と加虐精神を満たす為に抱かれる。そんな関係は、異常だ。
だから、終わらせなければならないことはわかっている。──わかっている?
本当に?
カイルは今度こそ、立ち止まった。周りに誰かいるのか、いるとしたら誰なのか、という確認をすることすら失念してただ、立ち尽くした。
自分は本当に、『姿かたちが似ているというだけの理由で、決して愛されることがないとわかっている想い人の代わりに抱いている』のか?
彼は本当に、『代わりだろうが何だろうが、性的欲求と加虐精神を満たす為に抱かれている』のか?
その認識は、正しいのか?
正誤の問題ではないのだろうが、ともかく。
違うのでは、ないか?
自分の思惑も、彼の思惑も。通りが良いように解釈しているはずが、実はとんでもなく窮屈な方向へ進んでしまっているのではないだろうか。
いや、しかし。
それならばどう解釈すれば良いというのだろう。そもそも、他人の思惑だけならばともかく、どうして常にカイルが主となり自己で統制し管理しているはずの自分の思惑にまでも解釈しなければならないというのか。
なぜ。どうして。どうしたら。
問題ばかりで答えがない。出口がない。
(あー、もう、なんて)
途方もない。
繋がりそうで繋がらない。その理由も。
(わからない、んだよ)
そう、わからないのだ、いくら考えたとしても。そういうことにして、
「逃げちゃった」
(え?)
不意に背後から声が聞こえて慌てて振り向くと。
「お、王子?」
「つまらないから逃げてきちゃったよ、会議」
えへへー、なんてあっさり笑っているユズの顔があった。無邪気な笑顔であるがゆえに邪気が隠れているのではないかと勘繰ってしまうのは、偽物の姿を長く見過ぎた所為だろうか。──なんて、そんなことを自然に頭に思い浮かべてしまって、すぐに。
(っ……、最悪)
自分から毒を飲んだ気分になる。
それでも決して胸中を表情にしないあたりは、もともとの性質と、それを理解した上での行動経験の厚さの賜物だろう。
「えー、そんなことして良いんですかー?」
にやにや、からかう口調。大丈夫だ、すぐに本物の楽しさに変わるから。
「そんなに重要な内容でもなかったし、たまには良いんじゃない?」
「わーわー!王子が不良にー!」
「カイルに言われたくないなー」
「……あははー、言うようになりましたねー王子」

俺の軽口に皮肉で答えるなんて、まるでゲオルグ殿みたいじゃないですか。

その一言をさらりと口に出来なかった自分が、なんとも情けなく感じた。
カイルがほんのわずか、顔をしかめたのをどう見たのか、ユズは無邪気な笑顔のまま言った。
「ねぇ、カイルは今幸せ?」
「え?」
思ってもみない質問に、カイルは虚を突かれてポカンとした。意味が一瞬わからず、理解した後もどう答えて良いのか決めかねた。
この戦いのさなか、幸せだと答えるのはふさわしくない気がする。けれど、幸せではないと答えれば彼を悲しませてしまう気がする。
そんな考えが、瞬時にカイルの脳を駆け巡った。
「いいよ、答えなくて」
ユズが、微笑みを苦笑に変えた。ゆるく首を振ってカイルをひた、と見据える。
「どうせ、何て答えるべきかを必死に考えてるだけで、自分か幸せかどうかなんて気にしてもいないんでしょう?」
「……ははは……、意地悪ですね王子」
どうにも先ほどから当たりがきついな、と思って苦笑すると、ユズはふふ、と笑った。
「僕はね、カイル」
「はい」
「全ての人に幸せになってもらいたいんだ」
「……はい」
とても、ユズらしい言葉だとカイルは思った。不用意に口に出せば偽善や理想論と取られてしまうような言葉も、ユズから発せられると生々しいほどの実感を伴う。彼自身の姿は、まるで夢物語のように非現実的な美しさだというのに。彼が歩んできた道は夢を見ることすら許さぬかのように原色で彩られ、激しい凹凸で醜い。
「もちろん、カイルにもだよ」
「はい。……そりゃ、光栄です」
「だから」
微笑んだカイルの唇辺りをビシッと指差して、ユズは力強く言い放った。
「早く見つけなきゃダメだよ、自分の幸せがどんなものなのか」
「え、あ、はい」
気圧されて、実際に少し仰け反りながらカイルは反射的に答えた。
「うん、よし。じゃ、僕会議に戻るから。ルクレティアは怒ると母上と同じくらい怖いんだ、実は」
「……あ、いってらっしゃーい……」
ユズは満足そうに頷き、あっさり立ち去った。その背中を、ぼんやりと見送る。
「え、まさかこれだけ言うために会議抜け出してきたとかないよな!?」
思いついたことがそのまま口に出たその言葉は完全なる独り言になった。はー、と大きく息を吐く。
不意打ちだ。しかもかなりの強力パンチ。
「幸せかぁ」
ユズが言う「幸せ」は、他の誰のものより重い。しかも彼は「幸せにしたい」ではなく「幸せになってもらいたい」と言った。そうなる力を持っていると信じる相手にこそ言える言葉であろう。ユズに信用されている、ということが嬉しくもあり苦しくもあった。
「幸せかぁ……」
カイルにとっての幸せは、あの王宮にあった。
アルシュタートの傍に仕えて、ユズの傍で笑って、リムスレーアに怒られて、サイアリーズに呆れられて。ずっと続くはずだったあの幸せな生活。こんなふうに回想して、ただの思い出になんかしてしまいたくない。
けれど、それはただ現実から眼を逸らしているだけのことにすぎない。嫌だ嫌だ、と駄々をこねているようなもの。
子供じみた、感傷。

自分は本当に、『姿かたちが似ているというだけの理由で、決して愛されることがないとわかっている想い人の代わりに抱いている』のか?
彼は本当に、『代わりだろうが何だろうが、性的欲求と加虐精神を満たす為に抱かれている』のか?

「……あー……」
カイルはその場にへたり込んだ。
かなりの強力パンチ。しかも遅効性。
「もしかしてオレ、叱られたのかなー」
鈍いにもほどがある。
ただの子供だったのだ、自分は。
幸せな過去を過去とできず、失恋を引きずり、再び前を向くことから逃げていただけ。感傷に浸って、可哀想な自分でいたかっただけ。そしてそれを指摘されれば、お前に何がわかるとばかりに噛み付いて相手の所為にした。
(ホンット、最悪だオレ)
その子供じみた行動の全てに、彼は辛抱強く付き合ってくれていたのだ。それなのに。

全部演技のくせに!!!

バカかオレは、と口の中で自らを罵る。
愚かだ。自分はどうしようもなく愚かだ。だけどこのままにはしない。
「大丈夫ですよ、王子」
立ち上がって、カイルは呟いた。
もう二度と彼を、彼らを、傷つけるような真似はしない。
だって、もう見つけられた気がするから。
「ありがとうございます」
自分の幸せを。





 


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