──2


アップルが退出してゆくのが、まるでスローモーションのようだった。ようやく、ルックの前──夢の画面に玉座の男が姿を現す。
見たくなかった。でも見なければならないと思った。
そうして、初めて直視したその姿は。
漆黒の髪。精悍な顔立ち。引き締まった肉体は華美ではないが仕立ての良い服に包まれている。右の手には包帯。そしてその全ての中心で煌々と輝く紅い瞳。
眩しすぎた。神々しいと言えるほどに。
(あぁ)
これは間違いなく彼だ。
愕然とした。なぜか。けれど同時に納得している自分もいた。彼がこういう座についていても、なんの不思議もないのだと。彼があのとき拒まなければ、きっとこうなっていただろう。トランの英雄は良き君主として──。
(……これは)
ふと、思いついてルックは困惑した。きっとそうに違いない。けれどなぜこんなものを見なければならない?
これは。この夢はおそらく。
(あり得たけれども実現しなかった現在)
カリム・マクドールが王として統治する国。それは存在していてもなんらおかしくはなかった。その国はきっと素晴らしい繁栄を遂げたことだろう。けれど、今となっては存在し得ない国。ただの夢。ただの幻。
わかって、いるけれど。けれど、ルックの不安は拭い去られることなく居座り続けていた。
「おーい、へーかー」
独特の、やる気のない声と共に、一人の青年がやって来た。その人物によって国王であるカリムの姿は再び見えなくなる。
「シーナ。どうしたの?」
「それ、俺の台詞。アップルの奴が行け、って言うから来たんだけど?用がないなら退散するよ。俺だって忙しいんだ」
「ナンパに?」
「そーそー。ちょっと今いい感じなんだって。ほら、お前もお忍びで参加したろ?この前の合コン。一番可愛かった子」
「あぁ、キャリー」
「そうそう、キャリーちゃん。…ってなんでお前名前覚えてんだよ?まさか狙ってたか?ついに後宮つくる気になったか?」
玉座の前で繰り広げられるくだらない会話に、ルックは一気に脱力した。不安に思ったのが間違いだったか。問題ない、この国は平和だ。王の頭も。もう寝よう。すでに眠っていることを失念して、そんなことを考える。
「つくらないよ、後宮なんか。僕に跡継ぎは必要ない」
「ま、そうだけどなー。俺の為につくれよ。お前が行かないなら俺が毎晩忍び込む」
「余計つくれないよ」
玉座の王──カリムは苦笑した。
「それに……僕はもう他の人は愛せないんだ」
ぼそりと言ったのを、シーナは聞いていなかったようだ。笑いながら、そんなこといわずによー、などとまだ後宮にこだわっている。
「で、何の用だったんだ?」
「用、というかね。一応伝えておくべきかな、って。近々、アップルと隣国へ入ってもらうことになると思うんだ」
「……俺?」
「そう」
「遊びじゃねぇんだろ?」
「よくわかってるじゃない」
カリムはおそらく、輝かしくにっこり微笑んでいるに違いなかった。顔など見えずとも容易に想像できる。
「……いいのかー?そんなあっさり隣国の戦争に介入して?」
「やり方を間違えなきゃね」
シーナは実に二酸化炭素濃度の高いと思われるため息を吐いた。極上にして極悪な微笑が目の前にあるのだろうと考えると、ルックは珍しく同情したい気分になった。
「間違えねぇだろうな、お前なら。…しっかり手に入る算段なのか?」
「まだわからないよ。しっかり手に入れられる算段を立てるために二人に行ってもらうんだからね」
「あ、そ」
(手に入れる?)
ルックの胸に、不安が帰ってきた。
「シーナ、今回僕が手に入れたいのは都市同盟とハイランドだけじゃないんだ」
(!!)
今、なんと?彼は事も無げに言ってのけたけれど。とてつもなく、重いことを。
「欲張りだなー、一気にグラスランドまで手に入れるか?」
「まさか」
カリムは苦笑した。まさか、はこっちの台詞だ、とルックは思う。どういうことだ。彼は、何をしようとしている?
「隣国で戦が始まれば、たぶん…、あの人が動くと思うんだ」
「あの、白いローブの女か?」
「うん。そしてきっと、彼が姿を現す」
「……」
「シーナ、彼に会ったらこう言って欲しい。『僕なら、ハルモニアを潰せるよ』って。そして、僕のところに連れてきて欲しい。…いや、僕が行っても構わない」
「ハルモニア…。それがあいつの弱点なのか?」
シーナの声は強張っていた。ルックは完全に、固まった。なぜ。なぜなぜなぜ。
「少なくとも、彼の行動の根底を見る鍵ではあると思う。……頼めないか」
「…あんまり頼まれたくねぇけど。仕方ないだろ、へーかの頼みだしな。渋々頼まれてやるよ」
「ありがとう」
カリムは本当に微笑んだようだった。けれどその微笑も、ルックを溶かすことはなかった。頭のてっぺんから足の先っぽまで、ゆっくりと凍っていくような気がした。怖い、と思った。そう、恐ろしい。
「ねぇ、シーナ」
「何だよ?」
「僕は、愚かだと思う?」
「……思わねぇよ。お前だって、人間だ。好きな奴には会いたいと思うさ。…方法はあまり感心しないけどな」
「うん…、わかってるよ、ひどいやり方だってことは。でも、それでも僕は」
聞きたくない、とルックは思った。彼が全身全霊をかけて言うであろう次の言葉を。聞いてしまったらきっと。
「それでも僕は、ルックに会いたいんだ」
きっと今度こそ叫んでしまうから。

  


背景画像SOZAIZM様



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