ネック

焼けるような熱を持っている。
それでいて凍てついてしまいそうな冷気も持っている。
相反するそれらが矛盾なくこの胸に収まって暴れ続ける。
手足が震え、涙さえ滲んでくるようだ。
苦しいのに、苦しいから心地よい。心地よいから、苛立つ。
苛立ちの原因は自分。心地よさと苦しみの原因は、アレ。どちらも必要のないものなのに。


無くなってしまえばいいのに。亡くしてしまいたい。
死んでしまえばいい。殺してしまいたい。
そう思うのは、憎しみゆえ?それとも慈愛ゆえ?いいや、きっとどちらでもない。
そんな言葉で説明がつくなら、










「誰も悩みはしない」
苦笑を含んだその言葉に、ルックはびくりと我に返った。
「どっちが正義で、どっちが悪か。そんなものは今更議論した所で答えは知れているんじゃないですか」
軍主の声が続く中で、ルックはどんな話だったか思い出そうと頭をフル回転させた。
そう、軍議が終わりかけていたのだ。そこで「いまだにどちらが正義かわからなくなることがある」と洩らした奴がいたのだ。
「自分が信じる道が、正義の道です。違いますか、ミルイヒ殿」
ああ、そうだ、ミルイヒだ。あの趣味の悪いナルシスト。そこまで思い出して、意識を飛ばしていたのはほんの一瞬だったのだと知る。
「……違いません。いけませんね、弱気になっていたようですよ。忘れてください」
「いえ、きっと誰もが思うことです。口に出さないだけで、ね。むしろ言って下さって感謝しています」
「カリム殿、私はあなたの進む道を信じ、共に戦うと決めました。その決意が揺らぐことはありません。先ほどの私の発言によってこのことが疑われたのなら…」
「疑っていません」
きっぱり、力を持った声がミルイヒの言葉を遮った。
「僕だって、あなたを信じて共に戦っているんです。今の言葉一つでそれが覆されることなど決してありません」
その場の静寂に、ルック以外は心地よさを感じているようだった。心地よさを作り出しているのは、間違いなく軍主・カリムの笑顔。人の不安を拭い去る、リーダーの微笑み。でもそれは、「カリムの」微笑ではない。
(ぐるぐるする……)
胸焼けに似た気持ち悪さに、ルックはそっと胸元の法衣をつかんだ。
「では、今日の軍議はこれまでと致しましょう。よろしいですね、カリム殿」
マッシュの言葉にカリムが頷き、軍議の終わりを告げた。
「では、決定事項は速やかに伝達し、実行するようにお願いします。解散にしよう」
皆がばらばらと円卓を離れ、自らの持ち場へ戻っていく中、ルックは一人そのまま座っていた。立ち上がれないほど気持ち悪かったわけではない。ただ、まだ白昼夢から覚めたばかりのように頭がぼう、っとしていただけなのだ。カリムが近付いてくるのが視界の端に見えたけれど、反応が出来なかった。
「ルック?大丈夫?」
「……何が」
実に緩慢としたしぐさで傍らに立つカリムを見上げた。先ほどまで鋭く光っていた柘榴の瞳は、心配そうに細められていた。
あぁ、カリムだ、なんてぼんやりと思う。そして何だか、胸焼けが軽くなった気がした。
「何が、って。軍議の間、ずっと心ここにあらずだっただろう?具合でも悪い?」
「別に。眠かっただけだ」
「眠かったの?珍しいね、夜更かし?」
「最後まで読んでしまいたい本があったんだよ!じゃ、僕は行くよ。少し寝させてもらう。…僕に割り当てられた仕事は、なかったはずだろ?」
「うん、ないよ。調査団の結果によってはすぐに動いてもらうこともあるかもしれないけど……」
そう言った軍主の顔に、やはり胸焼けは直っていない、とルックは顔をしかめた。
「それ、軍議で聞いたよ」
勢い良くため息をついて、それと同時に立ち上がった。気合いを入れる、というわけでもないが気分を変えるために両手で一つ、机を叩いた。
「ねぇ、ルック、本当に大丈夫?気分悪いんだろ?」
「……さっき不愉快な話を聞いたからじゃないの」
「不愉快な話?」
そのまま立っているとまた座ってしまいそうだったから、いつもよりはだいぶ遅いスピードながらも背筋を伸ばして歩き出した。カリムが先回りして部屋のドアを開ける。全く、よく気のつく奴だ、などと思った。
「どちらが正義かわからなくなる、とかバカなこと言ってた奴がいただろ」
「ああ、それか」
先に部屋の外へ出たルックに並び、彼は苦笑してみせた。
「新しい国にするため、帝国と戦うのが僕らにとっての正義。国を守るため、僕らと戦うのが帝国にとっての正義だ」
「わかりきってることだ。ったく、これだからナルシストは。さも初めて思いついたことのように哀愁を帯びさせて言うんだからね」
「まあまあ。本人にとっては深刻な大問題なのだから。……そんなに不愉快だったかい?」
覗き込むような視線を送られ、ルックはちらりとそれを見やってすぐにそらした。
「どっちが正義でどっちが悪で、何が正しくて何が間違ってるか。まだそんなことを言ってる奴がいるなんて信じられなくてね。答えをくれるひとなんかいないとわからないのか?愚か者は嫌いだよ」
「……ミルイヒ殿は、愚かではないよ」
怒りは含まれていないどころか感情が押し殺されたような、平坦で冷静な声に、ルックは身体を強張らせた。
いつの間にか正面からルックを見ている、彼。
むかむかと、胸が焼け付く。
嫌だ。嫌だ。嫌だ!これは、「カリム」ではない………!!
「ルック!?」
渾身の力を込めて、ルックは目の前の軍主を跳ね除けた。普段ならびくともしないであろうが、思いも寄らない事態に彼は大きくよろめいた。
開かれた道を、大股でずんずんと進む。焼け付く胸に、頭までくらくらと眩暈を覚えたが、意地でも真っ直ぐ進んでやろうと突き進んだ。
「ルック!待って、どうしたの!?」
後ろで呼ぶ声が聞こえる。構うものか、と思った。むかむかする。くらくらする。原因なんてわかりきってる。
(アイツの所為だ!)
だけど。理由はなんだ?彼の存在がこの状態を生んでいる。それは、なぜ?
(……気に入らないんだ!)
そんなのはエゴだと、そうも思うけれど。気に入らないものは気に入らない。
わからないとでも思っているのだろうか?だとしたら相当になめられたものだ。
冷静であろうとして穏やかな自分を作り上げてしっまたが為に、本当の冷静さを欠いている。自分の感情がわからなくなっている。
(そして)
それを知っていながら、感情がわからなくなるのは好都合、とでも言うかのように自ら作り上げた仮面をかぶり続けている。
気付いているのに。彼が仮面をかぶっていることに。
見えているのに。素顔の上にある白い仮面がはっきりと。
なのに!
「ルック!!」
「嫌だ!」
腕をつかまれ、ルックはそれを振り払った。しかし、カリムが離す筈はなく。
「っ!?」
大きくバランスを崩して前へと倒れ込んだ。待っているのはもちろん硬く冷たい石畳。のはずだったが。
「ルックっ!!!」
どさり、大きな音はしたのに、身体に与えられるはずの衝撃は温かな腕に吸収された。
ああ、カリムの身体か、とおぼろげに思った。
意識がはっきりしていない。それを、頭の端では理解していたはずだった。本当に与えられるはずの衝撃は、こっちなのだ、なんてらしくない考えが浮かんだあたり、理解できていないことは明白だったけれど。
「ルック……」
労わるように優しく抱き寄せられて、そこで初めて、カリムがルックを支えたまま倒れこんだのだと気付いた。
背を抱える腕。頭を支える肩。包み込む大きな胸。耳に触れる唇。
ぬくもりは惜しみなく注がれるのに、それでも全て手に入れようと貪欲になる。
無意識に、カリムの背に腕を回した。と。
(!?)
「ルック?」
思わす息を飲んだルックに、カリムが優しく囁く。
(どうして、気付かなかった?)
冷静さを失っていたのは、自分の方だった。どうして、気付けなかった?わかっている、感情に飲まれたからだ。
「嫌だったんだ……」
「え?」
「嫌だった……」
「……何が?」
「嫌だった…、君がカリムじゃなくて、嫌だったんだ……」
「うん……」
うわごとのように繰り返し呟く言葉を、カリムは静かに聞いていた。
「あれは……、あれは、カリムじゃなくて、見ていたくなくて…でも目をそらすのも嫌で…」
「うん。ごめん…」
「謝って欲しいわけじゃ、ない……!」
どんどん言葉が稚拙になっていくのを止められない。もはや口が自分の意志で動いているかもあやしい。
「でも……、何がどうであろうと、ルックを苦しめていたのは僕だろう?」
「ちがっ……」
自分だって苦しんでいるくせにそれに気付かずに何を言っている!?人の心配をしている場合ではないだろうに!
「気付いてないんだ、君は!でも、でも、僕も気付いてなくてっ……」
「え?」
「責められやしないけど責められる気もないっ!」
もう、何を言っているのかわからなかった。
でも、これだけはわかってた。
「気付かなかったんだ……」
彼のかぶる仮面にばかり気を取られて、己の目が隠れていることに。そして、彼が痛みを与えられていることに。
あの紋章が与える物理的な痛みに、カリムはどれほどの思いで耐えているのだろう。
「ソウル…イーター…」
ほとんど息だけで言った単語に、カリムはびくり、と反応した。
ルックは、彼の肩に預けていた顔をゆるゆると上げた。
「その痛み……」
今消して見せよう。
目が合った瞬間。ああ、カリムだ、なんて思った。
そしてその美しい瞳に吸い込まれた。






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