手折れぬ花


失ったものは、大きすぎた。





「王子!」
懐かしいと思えるほど長い間耳にしていなかったわけでもないのに、その声は確かに懐かしかった。
「カイル?」
豊かな金髪を揺らし、駆け寄ってきた女王騎士をユズは驚きつつも喜んで迎えた。王子の力になります、とそう言ってくれたカイルの言葉には、何か新しい決意があるような響きがあった。
そうして、再会が済んでしばらくすると、カイルは急にユズの腕を引き、玄関ホールの隅に連れて行った。
「カイル様!?」
リオンが慌ててパタパタ追ってくる。そのリオンに聞かれぬよう、カイルは素早くユズに耳打ちした。
「ゲオルグ殿とはどこまでいってるんです?」
「な、にい……」
何言ってるの、と言おうとしたユズだが、カイルの笑顔に気圧されてしまった。輝かしい笑顔で逃がしませんよ、と言わんばかりである。
(うわー)
「か、カイル…?」
「教えてくださいよ、王子ー?」
「どうしたんですか、一体?」
背後から浴びせられたリオンの言葉に、ユズの肩がわずかにびくりと震える。
「リオン、ごめんちょっと離れててくれないかな」
ユズは顔を引きつらせることなど一切なく、リオンに微笑みかけた。この辺り、カイルの性質が伝染していると言えなくもないのだが本人は気付いていない。
「でも…」
「大丈夫。話の内容はあとでだいたい教えてあげるから」
「いえ、それは構わないんですけど……。わかりました、あちらにいますでお済になりましたら呼んでくださいね」
リオンは当惑気味に一礼して下がっていった。少々申し訳ない気分でそれを見送った後、ユズはカイルに視線を戻した。
「カイル?」
ユズは内心、ひどくうろたえていた。誰にも話したことなどないのに。いつも一緒にいるリオンさえ、知らないはずなのだ。
「ふふふー。気付いてないと思ってたんでしょー?甘く見ないでくださいよ。誰が誰に恋してるかなんてすぐわかっちゃうんですからね、俺は」
ふふん、とカイルは胸を張る。その姿に無理をしている様子は見当たらなくて、そのことも余計にユズを戸惑わせた。勘違いでは、なかったと思うのだけれど。
「えーと」
「おっと、この期に及んでごまかそうなんて思ってませんよね、王子?」
にっこり。
得意の笑顔でカイルはことごとくユズの先回りをする。ユズはふーっ、と息を吐きつつ苦笑した。
「観念するよ」
「潔いですね、王子。漢らしいっ!……それで?そこまで進んでるんです?キスはしたんでしょ?」
「え…、う、うん……」
「ふーむ、その様子からすると……」
カイルは意味ありげに言葉を切ると、今度はにっこり、ではなく、にやり、と笑って見せた。ユズは微笑み返したけれども、それが少々引きつっているだろうと自覚していた。
「その先にも、進んじゃいましたね?」
「えーと、それは……」
乾いた笑いを漏らしつつも、ユズは無意識に視線を落としていた。他の人物ならば気付かないほどのかすかな変化であったが、いかんせん、相手が悪かった。
「なるほど、ね……」
カイルは全てを理解したようにこくこくと頷いて見せた。ユズはあっけにとられながらこの洞察力には敵わないなぁと思う。
「そんなことだろうと思ってましたけどねぇ。まぁったく、ゲオルグ殿はー。きっとあの人のやり方は王子のこと心配してだと思いますけど、それにしても一言ぐらい言えば良いのに。王子が自分の所為かと思っても仕方ありませんよー」
一人でまくし立てるカイルを、ユズはあっけにとられたまま眺めていた。これだけ勢い良く話しても声の大きさが変わらない配慮には感心する。
「つまり、こういうことでしょ?キスより先にも進んだけど、最後まではヤッてない、と。ゲオルグ殿は王子だけを気持ちよくさせちゃったわけですね?」
「…………あ、あのさ、カイル…………」
いくら正確に的を射ているからといってど真ん中をそのまま口にしないで欲しいとユズは思った。羞恥ののあまりに深く俯く。顔が熱いのできっと赤面しているだろうと思う。
「あ、すみません」
さすがにカイルもちょっと首をすくめる。
「王子相手に直接的過ぎました…。で、王子、ゲオルグ殿には何も言ってないんですよね、そのこと?」
「うん……」
ゲオルグと初めて共にした夜は、一人で明かしたのだ。彼はどこまでも優しかった。それが、少し悲しかった。
「そうでしょうね。ま、俺に任せてください」
「え?」
「ゲオルグ殿が素直になってくれるよう手をうちますからー!」
ぐっ、と親指を立ててカイルはウインクする。ここまでウインクの似合う成人男性にユズは今まで出会ったことがない。
「う、うん……」
ユズは半ば勢いで返事をしてしまった。カイルは満足そうにうんうんと頷くと、不意に表情を引き締めた。
「王子」
「……何?」
ユズが尋ねると、カイルは言おうか言うまいか迷うようなそぶりをした後、柔らかく口を開いた。
「俺は、諦めたんじゃないんです。ただ……、悟ったんです。それだけ、わかってください。…くだらないプライドかもしれませんけど」
ユズは、カイルの真摯な顔を正面から見た。自分が感じていたことはたぶん勘違いではないのだと思う。カイルも、ユズが気付いていたと知っているからこそこんなことを言ったのだと思う。けれど、それを更に問いただすことはしまい、と思った。彼の決意を、無駄にしてしまう。
「うん、わかった。…くだらなくなんか、ないよ」
「ありがとうございます」
カイルはにっこりと、微笑んだ。
彼も、巨大な喪失感に襲われたのだと思う。間違いなく。だってカイルはいつもファレナの女王を一番に思って勤めてきた立派な女王騎士なのだから。
きっと、ユズが経験したのとは違う種類の苦痛を味わっているのだと思う。それはもしかしたら、ゲオルグが抱いている苦痛と似ているのかもしれない。想像でしか、ないけれど。
その苦痛の原因の一端が、ユズにあるのだとしたら、ユズに出来るのはもうこれ以上彼らを苦しませないようにすることだ。
(そう思っていたのに、僕はゲオルグを求めてしまった)
「王子の所為じゃないですよ」
深く沈んでいこうとしている思考を、カイルの言葉が止めた。
「ダメですよー?」
にっ、と笑って人差し指をぴっ、と立てて見せる。
「はい、上向いて。ゲオルグ殿のことは俺に任せてくださいって言ったでしょ?」
ユズはふ、と微笑んで頷いた。カイルがゲオルグをどうしてくれるのかはわからないが、こうして考え続けているよりは進展が望めそうな気がした。
リオンちゃん、お待たせしましたー、と叫んでいるカイルの背中に、ユズは小さくつぶやいた。
「ありがとう」


  


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